みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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志村けんさん 一周忌に思うこと

もう、あの日から1年が経ちました。

月日が経つというのは本当に早いものです。

 

そう、日本を代表し、世界から愛されたコメディアン。

志村けんさんの一周忌です。

 

 

みうけんは昭和の生まれ。

まさに、「8時だヨ!! 全員集合」「ドリフ大爆笑」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「志村けんのバカ殿様」といった番組で育った、ドリフ世代ともいうべき人間です。

 

志村けんさんとは、1度だけお会いしたことがあります。

仕事の関係で、ほんの一瞬だけ。

交わした言葉も2~3言葉だけです。

きっと、志村けんさんは覚えておられないでしょうけれど、その時の感動と興奮はたいへんなものでした。

 

思えば、今回のコロナ禍において、まだ楽観的であった日本人を凍り付かせたのが、他でもない志村けんさんの死だったと思います。

 

災害でも、不幸なことでも。

人間、周囲でどんなに大変な事が起きていても、対岸の火事になりがちです。

ニュースの画面の中でしか見ることが出来ない、遠く離れた世界のできごとです。

 

毎日のように起きる交通事故だって、自分の家族が被害にでも合わない限りは、どこかみんな他人事。

そうして今日も交通ルールを違反する人が後を絶たず、自分が事故を起こして、または家族が被害にあって、初めて身近に感じるものだと思います。

 

しかし、この度の新型コロナにおいて、誰にでも身近だった志村けんさんの死は明らかに日本人の意識を大きく転換させたと思うのです。

 

もし、志村けんさんがいなければ。

そして、コロナによって、あまりに早すぎた急死をされなければ。

日本人は、ここまでコロナに敏感になったでしょうか、と思うときがあります。

 

日本は、いま感染が爆発して医療体制もひっ迫しています。

しかし、欧米や南米のように道端に遺体が並べられるようなこともありませんでした。

 

それは、ひとえに医療従事者の方々のご尽力、清潔好きの日本人の国民性、今まで培ってきた盤石な保険体制、そして手づかみをあまりしない日本の食文化、飽食による栄養状態のよさなど色んな要素があると思いますが、志村けんさんの死によって日本国民のほとんどがコロナでの死を身近に感じることが出来たというのも、決して無視できない要素だと思います。

 

あれから1年。

通常であれば、芸能人の訃報につきものの「お別れの会」ですら、まだ開催できていません。

 

出来ることならば、お別れの会なんかではなく。

子供のころにブラウン管で親しんだ、牛乳瓶メガネにボサボサ頭の神様のかっこうをして、「だぃじょぶだぁ」と言いながら、液晶画面となったテレビに出てきてほしいものです。

 

このような日本の行く末を、志村けんさんは天国からどのようなお気持ちで眺めておられることでしょうか。

 

今はただ、自らも感染の防止に気をつかいつつ、はるか遠い天国におられる志村けんさんに手を合わせるばかりです。

 

合掌

 

 

 

 

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