みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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急な坂が病人を助けた 東光寺の与兵衛坂(町田市)

恩田川をずっとさかのぼって町田市へと入っていくと、その左手には町田市成瀬クリーンセンターの広い敷地が見えてきます。

その南側、住宅と畑地の間を縫うようにして登っていく、きつい坂があります。

「与兵衛坂」です。


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その入り口には、きちんとした標柱が建てられて、その脇には由来を説明した看板が建てられており、実に親切丁寧なことです。

それによれば、この坂の由来は古く、遠い昔の江戸時代にまでさかのぼるそうです。


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江戸時代の末期のころ、このあたりに東光寺というお寺があったとき、近くに与兵衛という腕のいい医者が住んでおりました。

 

この辺りの里の人々は、病にかかれば必ずと言っていいほど与兵衛に診てもらっていたということで、どんな難しい病でも与兵衛に治せない病はない、と言われるほどの評判でした。

 

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このような噂は徐々に近隣の村々にも広がっていき、与兵衛のところには毎日のようにたくさんの患者が訪れて、その賑わいはたいへんなものだったそうです。

 

しかし、与兵衛の住む庵はきつい崖の上にあり、与兵衛の庵に行くためにはかなり遠回りをして、馬坂と呼ばれる坂道を登ってこなければならず、たいへん不便でした。

 

そのうち、一刻も早く診てもらいたい気持ちから、近くの崖をよじ登ってやって来るものまで出るようになったことから、とうとう崖は切り開かれて坂道になったという事です。

 

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この坂道は病人が登るにはあまりにも急な坂道でしたが、それでも近道だったことから患者たちの評判も良く、この坂は「与兵衛坂」と呼ばれるようになったという事です。

 

なお、ここに建てられた案内看板によれば、この与兵衛の子孫は今でも近くに住んでいるという事や、「與兵衛稲荷大明神」の木札が納められた稲荷社が現在でも残されているという事です。


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いま、むかしと変わらずうっそうと茂る竹林に覆われた与兵衛坂を一段、また一段と踏みしめて登ってみると、かつてこの坂を往来した病人たちの姿が目に浮かぶようで、ここにもそう遠くない昔日の日の思い出が活き活きと蘇るかのようです。

 

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