みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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花嫁の行列を凶刃が襲った 花籠の台の哀話(中井町)

風光明媚な厳島湿性公園から県道77号線の緩い上り坂を登っていき、神奈川大学のキャンパスを通過して金目川に向かうあたりは小高い大地上に畑が広がる眺めの良い所で、眼前には大山を望み、遠くには相模灘を旋回するトンビの群れが見えるなど実に風光明媚なところです。

 

ここはかつて「愛の地蔵」という記事でも紹介したように、男女間の愛憎にまつわる伝説がちらほらと残されており、どうも情熱的な土地柄のようです。

 

 

今回紹介させて頂く「花籠の台」伝説は、江戸時代末期に遡るお話で、悲運の凶刃に見舞われた花嫁の悲しき哀話が現代にも語り継がれているということです。

 

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冬の寒風吹き荒ぶ中、原付をゆっくり走らせて畑の端端を注意深く見ていると、途中で説明の建て看板が建てられているのが目につきます。

実は、この花籠の台の伝説につきましては図書館などで調べては見たものの、それほど多くの資料は残されておらず地元の方に聞いても詳しくは知らない、という事でしたので、看板の説明文をそのまま引用させていただきます。

 

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江戸時代の末期、中村の女子と土沢惣領の男子との婚約が相整い、挙式の当日、花嫁は花籠に乗り媒酌人や親類に付き添われ、行列を整えてこの地にさしかかった。その時、一人の若者が現れ、花籠の外から簾ごしに花嫁を刀で刺して逃げ去ったという。以来、花籠の台と名付け、婚礼行列の通行禁止の場所となった。

また、あるとき強情者がこの習わしを軽視してここを通ったところ、整いかけていた縁談も間もなく破談となったという伝説があるため、今でもめでたい時には遠まわりをし、決してここを通らないようにしている。

    中井町教育委員会

 

なるほど、その情景たるや想像しただけでも無惨なものです。

土沢惣領というのは、現代で言うと土屋公民館があるあたりのことだそうです。

かつては土屋一族が出たところとして著名な土屋部落には現在にも土屋一族の墓所があり、さらに上吉沢部落と下吉沢部落を合併させたものが土沢という地名になっています。

かつては武家や公家が持っていた農園を荘園と呼んだ名残で総領という呼び方が使われ、江戸期には有力農家や庄屋などの呼び名ともなったといいますから、惣領というのはそれなりの名家であったのかも知れません。

 

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現代と違って家格の合うもの同士で、親や親戚がお見合いをセッティングして結婚するのが当時の習わしで、結婚式当日まで新郎新婦はお互いにほとんど顔も知らなければ会話したこともない、なんてことが普通にあった時代で、この風習は昭和期まで各地に残っていました。

今では考えられないことです。

 

ですから、この結婚式は名家同士の婚姻だったのかもしれません。

このお話で土沢に嫁ぐ中村というところ、これがちょっとどのあたりかよく分かりませんでしたがそれほど遠い場所ではないとは思います。

恐らくは中井町から小田原市に流れる中村川というものがあるので、もしかするとこの辺りかもしれません。

 

 

 

勝手な想像ですが、名家のお姫様ですから器量よし、今で言う相当な美人であったかもしれません。

生活疲れもせず、白魚のような真っ白い綺麗な指をして唇には紅をさし、綺麗な着物を着ていれば、多くの男たちの羨望の眼差しを受けたことも容易に想像ができると言うものです。

 

そんな花嫁の行列に近づき、簾ごしに花嫁を刺し殺して逃げるとは、よほどの愛憎があり思い詰めての凶行だったのかもしれませんね。

当然、その犯人はその後も幸せな生涯を送ることはなかったでしょう。

 

現代とは違い、江戸時代の殺人罪に対する刑罰はずっと重く、犯人と被害者の力関係、上下関係によっても異なるもののおおむね死罪は免れなかったようです。

 

特に辻斬りは市中引き回しの上で死罪、ただの殺人であったも死罪と決まっていたようですし、現代と違って自由に移動して好きなところに住むこともできなかった時代ですから、逃亡するにも限りがあったと思われます。

そもそも、逃亡し切った所で人を殺して幸せな逃亡生活なんてものはあり得ないと思います。

 

この土地は一見してのどかな農耕地であり、風景も美しい風光明媚な土地であることは冒頭にも書きましたが、少し歴史を掘り下げてみれば「片想いの相手を思い余って手にかけてしまった不幸」と「若くして殺されてしまった花嫁の無念」が渦巻いている場所でもあります。

 

このような民話を探っていると、このように花嫁行列が避けて通る慣わしとなったところは実に多く、それだけ悲劇の舞台になった所も多かったと言うことでしょう。

 

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いま、この静かな台地に一人立って大山を眺めるとき、雄渾なる大山山塊に向かって伸びる冬雲の流れが美しく、かつてここで起こった哀れな愛憎劇の光景が嫌が上にも目に浮かび、ここにも過去の人たちが歩んできた生きることの悲哀がそくそくと思い出されるのです。

 

 

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