みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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幕末の激動をあらわす 真鶴岬の台場あと(真鶴町)

神奈川県西部に位置する真鶴半島は、弓のように弧を描いた相模海岸から相模灘に突き出すようにしてあり、その地は山深く急峻であるが、現代となっては走りやすく切り開かれ舗装された道が隅々まで整備されて、我が愛車シグナスXでも簡単に先端まで行くことができる。


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その真鶴半島の先端は三ツ石と呼ばれて、岬の先端には海面から突き出た磯場を波が洗う風景となり、まこと風光明媚にして、かの歌人与謝野晶子がこよなく愛したというのもうなずける話である。


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この地は相模灘に突き出した半島の先端にあたり、眼下に海を望み眺めも良い事から、幕末に江戸防備のための砲台が数多く作られた際、この地も砲台が築かれて、いまなおその痕跡が残されている。


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この砲台は幕末期に小田原藩が作ったもの。

驚くことにコンクリートで作られている。

コンクリートの歴史は意外と古く、中国の大地湾遺跡では5000年前の住居跡の床材にコンクリートのようなものが使われていた。

また古代ローマでは街道、橋、港、神殿、公会堂、広場、水道など、さまざまな構造物がコンクリートを使って建造されたのである。

 

しかし、日本でコンクリートが「本格的に使われる」のは明治以降といわれているから、それ以前に作られたコンクリート製の台場というのは当時の先端技術の結晶なのであろう。


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この台場からは遠く相模灘を見渡すことができ、ここから幕末の小田原藩士たちは虎視眈眈と黒船の来襲を待ち構えていたことであろうか。


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いま、すっかり平和となった令和の時代、ひとりこの岬に立って遠くの海原を眺めるとき、水平線にあらわれる漆黒の黒船と、砲身に砲弾をこめて狙いを定める侍たちの姿が目に浮かぶようである。

 

 

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