神奈川県西端に近い真鶴町は、遠雄なる相模灘に突き出した半島と、豊かな自然が織りなす風光明媚な所であるとともに、鎌倉幕府を創設した源頼朝のゆかりの地であるなど歴史的にも意義の深いところです。
その真鶴町役場よりわずかに北側に原付を走らせるとそこは閑静な住宅街であり、観光客もここまではなかなか来ないようですが、その一角に古く苔むした階段が残されているのが目につきます。
この階段を上がっていくと、そこには見上げるくらいに大きな石塔が建ち、そこには力強い筆跡で書かれた「南無阿弥陀佛」の見事な揮毫が陰刻されています。
この時は雨が降りそうで気が気でなく、急いで写真を撮ったのですが、この文章を書いている時に、下の方に署名があるのに気づきました。
おそらく、下の方には「遊行正統 五十六主 他阿」と彫られているのでしょうか。
もっとじっくりと見ておけば良かったです。
もともと真鶴町という所は、東西には岩礁が続いて黒潮からなる荒波をうけ、その岩礁のあたりからは良質な石材が採れるとあって、古くより採石業も盛んだったところです。
その歴史は古く、鎌倉時代に石材業を始めた土屋格衛や、江戸城を築くために採石に当たった黒田長政などの業績をたたえて江戸時代の末期に再建されたのが、この「石工先祖の碑」だという事です。
そういえば、この碑があるところも「岩」という町名であり、いかにも採石産業で栄えてきた町らしい名前です。
また、この周囲には数々の板碑も残されており、この地の歴史の深さを物語っているかのようです。
もともと、この真鶴の近くでは、昔から盛んに石切がなされていたという話を聞いた事がありましたし、海岸に行けば石を切り出したような跡がいまだに多く残されています。
思い起こしてみれば、いまでも残る堅固で見事な小田原城の石垣や、江戸城の石垣はここに住んだ名もなき石工たちなくしては築けなかったものばかりです。
これらは貴重な歴史遺産であり、またこのように石工たちの先祖を讃える碑が大切に残されているという事に、この街の歴史の深さを感じるのです。