JR相模線の、宮山という小さな無人駅を降りて、長閑な農村地帯をしばらく歩いていくと相模国の一之宮としても著名である寒川神社に着くが、その社前にある寺院が龍寶山興全寺と呼ばれる古刹で、宗派は曹洞宗、本尊は釈迦如来像である。
この寺は、神社と寺院が分けられていなかった神仏習合の時代、現在の寒川神社を守護神として発展してきた歴史を持つ仏教寺院で、かつての寒川神社の鎮守の森であった一角に今も残されているのである。
福井県の永平寺と鶴見区の総持寺を本山として持ち、厚木市にある清源院の末寺とされており、江戸初期には初代将軍である徳川家康公が参拝されたお寺であるとも言われているのである。
けいだいのかたすみに可憐なイヌフグリが咲き並ぶうららかな初春の日、境内をのんびりと歩いていると「とんがらし地蔵」に並んで、一基の畜霊碑に目が行ったが、これが寒川の町の経済に並々ならぬ発展をさせた「高座豚」の歴史を語る畜産供養塔なのである。
昭和42年に建立されたこの碑は、寒川町において飼育されては人々の食卓を潤し、またそのために死んでいった多くの家畜の霊を慰めるために建立されたものであるという。
特に、高座豚の元祖となった「ベンドレーバグルボーイ2世号」の功績を称えて建立された碑も脇に建てられており、この「ベンドレーバグルボーイ2世号」とは昭和6年に英国から輸入された種付け豚であり、昭和9年から600余頭に渡る種付けを行なって、その名を全国に馳せる高座豚の発展発達の礎を築いたのであるという。
しかし、家畜の飼料が次第に配合飼料へと変わっていくようになると、元来サツマイモや麦を飼料として肥育していた高座豚は飼育の手間も費用もかかる割には1頭から取れる肉の量が少なかった。
さらに、病気に弱いという特徴からさらに育てやすく肉もたくさん取れるヨークシャー種にとって変わられる事となり、1970年代にはほぼ絶滅してしまったのである。
時代は流れて日本人全体の口が肥えてくると、それまでの「質より量」だった豚肉業界の中でも、より美味しく、ブランド化された豚肉が求められるようになっていった。
そこで、地元の勇士たちが集まって再びイギリスから種付け豚を輸入し、再度作り上げたのが現在の高座豚なのだという。
(肉の太田屋様より拝借)
「ベンドレーバグルボーイ2世号」の血統は途絶えてしまったが、今なおここには畜霊碑とならんで「ベンドレーバグルボーイ2世号」の偉業をたたえる石碑が立ち、わずかに往時を偲ばせているのである。
いま、この2つの碑の前に立ち、心静かに手を合わせるとき、この世に生まれながら家畜として飼われ、人の食べる糧となるべく命を奪われていった多くの豚たちの姿が思い出されるようで、その感慨もひとしおである。