JR御殿場線に沿うようにして松田町と国府津を結ぶ、通称松田国府津線は地域の重要な連絡道路であり、生活道路として欠かせない存在になっている。
ここのあたりは昔からの街道が通っていたようで、山に沿うようにして小さな道祖神を見ることができるが、松田国府津線と新幹線の線路が交差するところにも小さな道祖神が残されている。
もともと、道祖神の起源というのはただの石であった。
科学も医療も発達していなかった昔、厄病や悪運というのはどこからやってくるか分からないものであった。今では予防できるような病気が蔓延し、今では抗生物質で簡単に治ってしまうような病が人々の命を容赦なく奪っていったもので、まさに生き残ることそのものが切実な戦いであったのだ。
やはり、厄病や疫病、飢饉などの凶事を防ぐためには神頼みが主流であった。
その中でも日本人は特に結界思想というものを顕著に持ち、村々の入り口や四つ角には石を置いて結界とし、わが村に余計なものが入らないようにというまじないをかけたのである。
この道祖神も、その頂には雨に穿たれたであろう穴があき、ずっと長い間人々の生活と往来を見守り続けてきたのであろうか。
いつの頃か、子孫繁栄と五穀豊穣を祈って男女が仲睦まじくしている姿を彫るようになった。
そう言われてみると、夫婦が仲良くしていれば、たくさんの子供が生まれる。たくさんの子孫が多くの田畑を耕し、ますます村は繁栄していく。そのような願いが込められているのであろうことは想像に難くない。
それが全国に広がり、この道祖神のような男女相対の道祖神が多く作られるようになったのだという。
この道祖神も、他の例にならって男女合わせて立つ男女相対の道祖神である。
この道祖神の前には、古くてぼろぼろになった海老の飾りがいくつも置かれていた。
正月には、誰かの手によってしめ飾りでもなされ、海老だけが風化せずに残ったのか。
それとも、誰かが何らかの願いを込めて、海老を奉納したのか。
考えれば考えるほどに興味は尽きない。
多くの車は砂ぼこりを立てて忙しく通り過ぎていくが、そのような車であっても、ずっと昔からこの地を守り続けた道祖神によって同じく見守られているのであろう。
道行く人、道行く車、あまねく全ての人々が、一人でも多くこの道祖神に関心を持ち、一瞬でも手を合わせればますますこの道祖神の霊験は深まることであろう。