みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

出征兵士の無事を願った 観音寺の弾丸除地蔵尊(横須賀市)

横須賀市は深浦湾の脇、榎戸というバス停がある。

この榎戸バス停から山側に行くとすぐに三叉路があるが、この三叉路を超えたところにうっかりすると通り過ぎてしまいそうな細い道がある。 

 

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この道は当然車では入れないようなところであるが、このような道でも原付であればグイグイ入っていけるのが強いところである。だがしかし、どこで歩行者に出くわすかも分からないから充分すぎるほどに注意をし、速度も徐行の徐行で慎重に運転せねばならない。

 

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この旧道はやがて山頂へとつながっているのであるが、この旧道を登りきったところにヒガンバナが咲き乱れるひらけた所があり、この脇にひっそりと建つ「三浦廿二番坂中観音」の石塔の脇の階段を上ったところに、坂中山観音寺があるのである。

 

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この寺の創建ははっきりしていないものの、貞享4年(1687年)という説があり、それが正しければ徳川5代将軍綱吉公のころである。開山は青蓮社布誉万碩上人(せいれんしゃふよばんせきしょうにん)と言われている。

 

この寺の本尊は室町時代に作られたという十一面観世音菩薩で、檜の一木造りであり、普段は菊と桐のご紋が入ったお厨子に納められているが、毎回丑年に半開帳を、午年に本開帳され多くの信者が詰めかけるのだという。

 

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この観音像は、漁師町らしく「漁師が海中から拾い上げた」とされる三浦半島には多い「海中出現の観音像」の伝説は以前に紹介したとおりである。

 

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この観音寺には、以前紹介した観音様もちろん見どころであるが、この観音堂の脇に小さな石の地蔵菩薩がお座りになっているのを見ることができ、これこそが我が子に無事に帰ってきてほしいと願った親たちの、また、生きて再びこの故郷に戻って来られるようにと切に願った若者たちの、心からの願いと祈りを今に伝える「弾丸除地蔵尊」なのである。

 

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よく、戦争を描いたドラマや映画などで「お国のために見事に死んで帰ってきます」などという台詞を耳にすることがあり、当時は招集された兵士が戦地に赴くときには、実際にそのような勇ましい挨拶が交わされていたという。

 

だが、いつの時代にも本音と建前があるもの。何かすればすぐに「非国民」というレッテルを張られる時代であったから、まさか「僕は戦争に行きたくありません。生きていたいです」などと言うわけにもいかなかったのであり、しぶしぶ戦地に行った若者も多かったそうで、実に悲しいことである。

 

戦地に赴く我が子が無事に帰ってくるようにと母親たちは千人針作りに奔走し、出征していく兵士たちはお守りを身に着け、女性の陰毛などを持ち込む者もいたというし、わざわざ山口県の「弾除け神社」にお参りに出かけたりもしたのだという。

 

彼らの願うところはただ一つ、戦場の土くれとなることでも軍神となることでもなく、無事に帰ってきて、またこの故郷で家族とともに平和な暮らしを送ることだったのであろう。

 

この観音寺には、昭和12年に寄進された「弾丸除地蔵尊」が今なお残っているが、昭和12年とはちょうど盧溝橋事件が勃発して日中戦争が始まったとされる年であり、これからどのような時代となり、どのような生活となるかもわからず、口では勇ましいことを言っていても心中では不安に駆られていた者は多かったのではなかろうか。

その証拠となるのが、この観音寺の「弾丸除地蔵尊」なのである。

 

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この「弾丸除地蔵尊」は昭和12年に寄進された。

像高50センチ前後と決して大きいものではないが、手には弾丸と思しき珠をお持ちであり、「戦場での弾丸をすべてこのお地蔵様が取り除いてくださる」との思いがこめられているのであろう、と説明版には記載されている。

 

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この地蔵尊が寄進された昭和12年とは、盧溝橋事件が発生した年である。

この事件を皮切りに日中戦争が始まり、日本は泥沼の長期戦に苦しむこととなるのであり、やがて日本を奈落の底へと突き落とす大東亜戦争へとつながっていったのである。

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いま、誰もいない静かな境内でひとり心静かに弾丸除地蔵尊に手を合わせるとき、これから遠い遠い戦場へと赴き、生きて帰れぬかもしれないという悲運の運命を自らに重ねる若者たちがワラにもすがる思いでこの地蔵尊に手を合わせ、また兵士の家族たちが訪れては我が子の、我が兄弟の無事な帰りを願ってこの地蔵尊に手を合わせたことを思い起こすとき、抗えぬ運命の悲しさと平和な時代に生きられることの有り難みを身にしみて痛感するのである。