JR相模線の、宮山という小さな無人駅を降りて、長閑な農村地帯をしばらく歩いていくと相模国の一之宮としても著名である寒川神社に着くが、その社前にある寺院が龍寶山興全寺と呼ばれる古刹で、宗派は曹洞宗、本尊は釈迦如来像である。
この寺は、神社と寺院が分けられていなかった神仏習合の時代、現在の寒川神社を守護神として発展してきた歴史を持つ仏教寺院で、かつての寒川神社の鎮守の森であった一角に今も残されているのである。
福井県の永平寺と鶴見区の総持寺を本山として持ち、厚木市にある清源院の末寺とされており、江戸初期には初代将軍である徳川家康公が参拝されたお寺であるとも言われているのである。
この興全寺の境内には、昔から「とんがらし地蔵」という地蔵が残されており、今なお民衆たちの信心を集めているということである。
その境内には、イヌフグリが花を咲かせる春麗らかな旭日のもと、静寂を極める清々しい境内の片隅には、確かに見上げるほどの石台に乗せられた、苔むした地蔵菩薩の坐像が穏やかな表情を浮かべたままにお座りになられ、境内を歩く墓参りの人をじっと見つめておられたのである。
「法華経供養塔」と陰刻された石塔の上に鎮座されるこの地蔵菩薩は、かつては近くの田んぼの隅に、草木に埋もれるようにしてあったが、時代が流れて時代に周囲が開発されてくるに従ってこの地に引っ越して来られたのだという。
この地蔵はイボ取りに関して極めて霊験あらたかであるとされ、この地蔵の前にある香炉の灰をイボに付けると、たちまちのうちにイボが治ると伝えられていた。
そのイボが治った後には、自分の年齢の数だけの唐辛子を数珠のようにつなげ、地蔵に備える習わしがあったとされる。
今ではその信仰も薄れたのか、地蔵菩薩の前にあったであろう香炉もすでに失われ、ただ一房のとんがらしが奉納されていたのが、何かいっそうのこと哀れであった。
それでもなお、物言わぬ地蔵尊の石像には1束のとんがらしが結びつけられ、かつてこの地蔵に一心に祈りを捧げた里人たちの思いや姿を、いまの令和の時代にわずかに伝えているのである。
いま、この苔むしたとんがらし地蔵尊の前に立ってひとり手を合わせるとき、ここにも抗うことかなわぬ時の流れの移り変わりがそくそくと感じられるのである。