東京から沼津にいたる国道246号線をひたすら西進していくと徐々に山が深くなり、やがて御殿場線に並んで丹沢大山の山並みに入っていくことになる。
その御殿場線は明治22年に、のちの東海道本線の一部として開業して複線化も行われていたが、昭和9年(1934年)に丹那トンネルが開通し東海道線が海沿いを走るようになると支線扱いに格下げとなった。
やがて昭和19年(1944年)には単線化されて現在に至るが、複線時代のトンネルや橋脚などはそのまま残り、かつての廃トンネルには蒸気機関車の煙がつけたススが今なお色濃く残って、往時を偲ばせているのである。
その複線の跡をたどっていくと、線路は撤去されて久しいトンネルの上に、よく目を凝らして見ると小さな赤い鳥居が建てられているのを見ることができる。
このトンネルの脇には獣道に等しい道が残され、そこを登ればこの鳥居のところまでいくことができるが、これこそが鉄道開設にまつわって不思議な伝説を今なお残す線守稲荷大明神の祠なのである。
この御殿場線、当時は東海道線が開通して間もない明治時代の話である。ここ山北には、多くの狐が住んでいたが鉄道工事をするにあたりその巣穴はことごとく破壊されてしまった。
当時の人々は今よりも自然に対する畏敬の念が強く、狐の仕返しを恐れる人が多くいたという事である。
やがて鉄道は滞りなく完成するが、いざ汽車を走らせて見ると、夜になると決まって線路に大きな石が置かれていたり、誰かが赤いカンテラを振って走ってきたり、髪を乱した女が駆け寄って来るといったことが続いたという。
そのたびに機関士はあわてて列車を急停止させるが、いくら点検しても異常は見られず、再度発車させるとまたカンテラが振られるということが続いて、運行に支障を来たすばかりか機関士も恐れおののき、ここでの運転を嫌がる者まで出たという。
ある日の夜中、また走る機関車に向けて赤いカンテラを振る者が見える。機関士はどうせ幻だろうとそのまま通過しようとするが、何かを轢いた大きな衝撃に慌てて急停車し、台車の下を点検すると、そこには車輪に無残に轢かれた狐の死体が横たわっていたという。
この話を聞いたトンネルの建設業者は狐の巣穴を壊してしまったことを悔やみ、伏見稲荷から御分霊を授かると「正一位 線守稲荷大明神」として祀り、寒川神社から神主を招いて盛大に祭りを行ったところ、このような怪現象はパッタリと見られなくなったという事である。
それからは毎年4月には祭礼が行われ、線路の守り神としてJR御殿場工務区長が祭主を務め、鉄道関係者はもとより地元住民も多く集まって事故防止と家内安全の祭礼を続けているのだという。
赤く塗られた鳥居の脇には赤く塗られたレールが建てられ、いかにも鉄道の守り神といった風合いであるが、いまもこの線守稲荷大明神は毎日のように運行される御殿場線の近くにたち、大きな事故を起こさせることもなく、日々地域住民の暮らしと観光客の足の守り神として御殿場線を見守っているのである。