小田急線の秦野駅から東側すぐの住宅街は、かなり古くから人が暮らしを営んできた、実に風情ある街並みである。
その秦野駅から歩いて5分もかからない住宅街の中に、立派な屋根を据えられては冷たい清水を滝のように噴き出す湧水があり、これを地元の人は弘法の清水と呼んで大切に受け継ぎ守り続けているのである。
由来書によると、ある夏の暑い盛りの話であるという。
ある家に、旅姿の僧が立ち寄ってきて、一杯の水を恵んでくれないかと申し出てきた。
家の女はさっそく水がめを見るが、あいにく水は一滴もなかったので「ただいま汲んでまいりますのでお待ちください」と言って、わざわざ遠くの寺から水を汲んでかついで帰ってきたのである。
僧は恐縮すると同時に女の親切な心に感動し、手にしていた錫杖を地面に突き刺した。その穴を指差し「三日たったら、底をくりぬいた臼をここに置きなさい。必ず水が出るであろう」と言い残して立ち去ったのである。
女はさっそく言われたとおりに底に穴を開けた臼を置いたところ、3日目に突如水が噴き出し、それ以降はこの部落の里人の生活の水として重宝されたという。
のちに、この湧き水は臼井戸という名がつけられ、その時の僧は弘法大師であったとして弘法の臼井戸という名で呼ばれるようになった。
以降、この清水はどんな日でも涸れることなく、他の村が日照りで不作の時にもこの村の田畑を潤し、今なおこの霊験にあやかろうと水を汲みに来る人が絶えないのである。
この天然の清水は、深い地層の奥から湧き出ており、一日130トンという莫大な量の水を今でもたたえ続け、全国の名水百選にも選ばれているのである。
この湧水は手にしても冷たく清らかで、口に含めば柔らかな口当たりが清々しい。
かつては、この水で多くの人がのどを潤し、また多くの命を救ったことであろう。
全国どこにでも現れる弘法大師の霊験かどうか確かめるすべはないものの、水神様を祀ってこの水を大切に受け継ぎ守り続けてきた里人の、自然に対する畏敬の思いは今なお流れる清水のようにこの地に連綿と受け継がれているのである。