みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

稲荷が街を富ませたか 横浜長者町の町名の由来(横浜市中区)

横浜市中区には、長者町という町名がある。

大岡川のほとりから中村川にいたるまで、吉田新田の真ん中を完全に横切る形で1丁目から9丁目まであり、黄金町や末吉町、寿町などに並ぶ典型的な「瑞祥地名」(ずいしょうちめい=めでたい言葉をそのまま町名にしたもの)として知られている。

 

しかし、黄金町や寿町の例に見るように、この長者町もあまり治安が良いといえる町ではなく、夜ともなればネオンサインが輝いていかがわしい店が軒を連ね、街を歩けば客引きにあたるといった具合で、あまり子供を連れて訪れるような街でもないのである。

 

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この長者町という町名はなぜつけられたのか、図書館で地域史料を紐解いてみると、興味深い記載があった。

 

それによれば、もとはこのあたりを吉田新田八丁畷(はっちょうなわて)といって、もともとは入江だったものを埋め立てて新田とし、今となっては伊勢佐木町の繁華街となったあたりも一面に葦が生い茂るくさむらだったという。

そこに暮らす林甚左衛門という男は信州の小県郡(ちいさかたぐん)出身で、横浜に新田開拓の噂を聞いて一旗揚げようと出てきたのであるが、決して商売はうまくいっているとは言えない暮らしぶりだったようである。

 

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ある日、そのくさむらの近くを甚左衛門が歩いていると、一匹の真っ白な狐が飛び出して甚左衛門の前を横切った。

甚左衛門は「これはお稲荷さまの遣いかも知れぬ、お稲荷様を信仰せよという事だろうか」と考えるに至り、それからというものお稲荷様への信仰を日夜忘れることなく熱心におつとめした。

 

それからしばらくたったある夜、真っ白なひげをたくわえた老狐が甚左衛門の夢枕に立って言う事には「我は、いつぞや姿を見せた伏見稲荷の白狐である。日頃の信心、礼を言うぞ。よって、お前を長者にしてつかわそう。我を信じ、いっそう商売に精を出すがよいよ」とお告げされたのであるという。

 

それからというもの、甚左衛門の商売には運が向いて瞬く間に財を成し、このあたりでは一番の長者になることが出来た。

なお甚左衛門の信心は衰えず、これは紛れもなく伏見稲荷さまのおかげであるとして、天保2年(1832年)2月には小判70枚を出して京都の伏見稲荷の御分霊を勧請し、屋敷の中にまつっていたという。

 

この稲荷長者は瞬く間に評判となり、その威徳にあずかろうと連日連夜にわたって多くの参詣人が詰めかけ、このあたりは大変な賑わいで、それにより甚左衛門の商いもますます繁盛したのである。

 

やがて、時は流れてここが「町」となるときに、このあたりの人々は稲荷長者にあやかって長者町という町名をつけた。伏見稲荷の御神徳を賜り、たくさんの人が長者となって何不自由なく暮らせるようにという願いをこめたものであった。

 

この地域には瑞祥地名が多く採用されていることは先にも述べた通りであるが、他にも歌や伝説からとられたものもある。

赤線地帯で有名であった黄金町(こがねちょう)と、それより山側の英町(はなぶさちょう)にあっては、「准南子」にある「清水は黄金にあり 玉英(玉のように美しい花)は龍の淵にあり」からとられている。

また現在ではラブホテルや風俗店の立ち並ぶ弥生町、曙町の界隈は雅楽の「越天楽今様 」 にある「春の弥生の あけぼのに 四方の山辺を 見わたせば」という一説からきているという。

その雅なる町名とは裏腹な発展を遂げてしまった町々であるが、他にも羽衣伝説からとった羽衣町、浦島太郎の伝説からは浦島が丘や亀住町といったぐあいに、めでたい名前が並んでいるのが横浜市中心部の特徴といえよう。

 

なお、甚左衛門が勧請した伏見稲荷は、その後どこへいったのであろうか。

横浜長者町には、度重なる水害から吉田新田を守るべく、福岡県久留米市より勧請した水天宮を祀っていたが、第二次世界大戦のあと、境内地が米軍に接収されたことから、勧請者の河野家の子孫が住んでいた南区西仲町に移転したが、平成10年(1999年)に旧太田村の総鎮守であった杉山神社をも合祀し、いまでも横浜水天宮として続いている。

 

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この中に、甚左衛門が勧請した伏見稲荷も合祀されているという。

この水天宮は、今でも地域の鎮守として親しまれ、特に狛犬が子犬に乳をやる様は安産と子育ての象徴として、女性たちから篤い信仰を集めているということである。

 

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いま、数えきれないほどの商店が乱立して夜も眠らぬ商業地となった横浜の長者町を歩いていると、横浜の商業は横浜駅の周辺やみなとみらいへと中心を移したとはいえ、今なお長者町の稲荷が町全体を守っているかのような喧噪に、時の流れの速さをここにも感じ取るのである。