横須賀市長井には、陸上自衛隊の武山駐屯地・海上自衛隊の横須賀教育隊があるが、この駐屯地は戦前までは旧日本海軍の武山海兵団(昭和19年までは「横須賀第二海兵団」)が置かれていた場所である。
この武山駐屯地の南側には知る人ぞ知る景勝地でもあり市民の憩いの場として富浦公園があり、少し傾いた日差しが海面を照らし松影を彩るさまは実に風光明媚なものである。
この富浦公園の海岸に出ると、北側の武山駐屯地との境の砂浜に、大きなコンクリート製の建造物が野ざらしとなり、訪れる人もなく波に洗われ浸食されているのを見ることができる。
いまとなっては資料にも載っておらず、おそらく旧日本海軍の武山海兵団や横須賀第二海兵団に関連する戦争遺跡ではないかと思われるが、あくまでも推測の域を出ることはない。
かつて三浦半島は東京湾要塞の一部として、帝都東京を防衛する最前線であった。
そのため砲台や特攻隊基地、洞窟を利用した狙撃陣地などの戦争遺跡が今なお多くのこり、その一部は以前にもこのブログで紹介している。
さて、今回とりあげるコンクリート製の構造物ははっきりと戦争遺跡である確証はなく、その用途すらはっきりと分からない。
ただ、四角い長方体のコンクリートの建造物が2つ並び、その中央には丸い構造物をあわせもつ構造物が残されているのみである。
上下の写真が、公園から見て一番手前の構造物。
天井は抜け落ち壁は穴だらけであるが見た感じ銃眼などが残っている痕跡はない。
構造物の中央には何かの台座が残され、4本のビスで何かを固定していたようだが機関銃などを固定するには、この4本のビスはあまりに細くてこころもとない。
何かの観測所かなにかだったのか?
天井の開口部から頭を出して撮影してみた。
また、この近辺には古い白い陶器がたくさん落ちている。
これはガイシのような気もするし、なにかのフタを固定するもののような気もする。
だいたいは半分くらいに唐竹割になった状態であるが、思いのほかたくさん落ちている。
これは手前から2つめの構造物。
この構造物のみ、丸い構造物と四角い構造物が組み合わされており、やはりその用途はまったくわからない。
今まで三浦半島のトーチカや洞窟陣地もずいぶん見てきたが、この構造物は出入り口も通信用の伝声管を通す穴も、電線をつないだ鋲もなく、過去に見てきたものとは明らかに違う。
上の構造物を少し遠目に見るとこんな感じである。
そして、こちらは一番奥の構造物。
比較的原型をとどめているが、やはり出入り口はない。
出入り口らしいのは天井部に開口しているが、大人が通るには狭い気もするし、破損が少ない代わりに内部にはたくさんの土砂が詰まっており内部の様子をうかがうことはできない。
横にある穴は用途が不明だが、外観を見比べても一番手前の構造物とは作りが違うのがわかる。
これが天井部の開口部。
顔を出すくらいはできるが、ここから出入りするのは正直きびしい。
通気口か監視坑の役目か?
この構造物の脇はすぐ海だが、こちらにも側面には開口部はなくトーチカとは考えにくい。
天井部には開口のほかに、やはり用途がハッキリしない凸部がいくつかある。
奥の凸部は端にレンガが埋め込まれている。
真ん中にあいた穴。
おそらく、この下に先ほど見たようなビス付の台座があるのかもしれない。
見れば見るほど謎は深まるばかり。
公園を散策していたお年寄りにも聞いてみたが、子供のころからあるけど気にしたこともなく、いつどのような目的で作られたか分からないとのことであった。
いったい、この構造物はなんなのだろう。
どなたかご存知の方、コメントでお知らせくだされば幸いです。
当記事が「廃墟検索地図」にて紹介され、写真もお使いいただけました!!
ありがとうございます。