みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

米軍機墜落犠牲者を慰める 横須賀の鳩よよみがえれ像(横須賀市)

横須賀市の長沢というところは、眼前にはどこまでも続く三浦海岸の大海原を控え、背後には小高い三浦富士をいただいた実に風光明媚なところです。

 

その長沢の、長沢村岡公園にほど近い山奥の茂みの中に突如として開かれた空間が見え、その中には子供を抱いた女性のブロンズ像が立てられています。

 

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この像の由来は、昭和52年(1977年)9月27日にまでさかのぼります。

同日、厚木基地を離陸したアメリ海兵隊のF-4ファントム機が、離陸直後にエンジン火災を起こし、現在でいう青葉区荏田北三丁目、いまは大入公園となっている住宅地に墜落して周辺の家屋20戸を焼き尽くす大惨事を起こしました。

 

この事故により一般の市民3名が死亡、6名が負傷したというもので、この事故に関しては、過去にも記事にして紹介したことがあります。

 

www.miuken.net

 

この事故で特筆すべきところは、この亡くなられた3名の方は土志田(旧姓・林)和枝さん(当時26才)と、その子どもたちであった裕一郎君(当時3才)、康弘くん(当時1才)である事です。

 

3人ともが若すぎる死というだけの単純なものではなく、子供たちは翌日には亡くなっているのに、愛する我が子との再会だけを心の支えに1年3か月もの間苦しい治療に打ち勝ち、ようやくリハビリができるところまで回復してから子供達の死を知らされた和枝さんにとって、精神的なダメージは計り知れないものがありました。

 

さらに、この事故がもとで夫との関係も悪化し、一方的に離婚されていたといいますから、その事もより一層和枝さんの心に大きなダメージを与えたのでしょう。

 

結局、精神的にバランスがとれなくなった和枝さんは、半ば強制的に精神科単科病院に転院したあげくに、事故から4年4ヶ月たった昭和57年(1982年)1月26日、心因性の呼吸困難がもとで還らぬ人となったのだといいます。

 

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米軍墜落の状況や火災の惨状に関しては、前回書いた記事を参考にしていただきたいと思います。

 

 

この、横須賀長井に建てられた「鳩よよみがえれ」の銅像は言うまでもなくこの3人の親子をモデルにしたもので、像の背面には「T.NISI」というサインが読み取れますから、おそらく彫刻家の西常雄氏による作品かと思われます。

 

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西常雄氏は、若い頃に一兵卒として中国戦線で塗炭の苦しみを味わった人物で、その経験が元になってか平和運動憲法9条を護る運動に熱心だった彫刻家でした。

 

このブロンズ像は有志により全国から基金が集められ、このような悲劇をニ度と繰り返さぬようにとの願いを込めて建立されました。

 

ときは全国が好景気に浮かれる昭和60年(1985年)9月29日の事であり、ちょうど事故から8年後の事です。

 

この「鳩よよみがえれ」像の脇には、今なお由来の石碑が飾られています。

その石碑には

 

一九七七年九月二七日 厚木基地より空母ミッドウェーに向かっていた米軍機が横浜市緑区に墜落炎上 九名が死傷 林裕一郎君三歳康弘ちゃん一歳は焼死全身やけどを負った 母親の和枝さんは子どもの分まで生きて事故の証人になると苦しい治療に耐えたが 事故の真相をあきらかにされないまま一九八二年一月二六日 三一歳の若い命を無念のうちに閉じた
このような悲惨な事故をゆるさない 核も基地もない日本をつくりたい そう願う多くの団体 個人によって ここに平和の母子像 鳩よよみがえれ を建立する
 一九八五年九月二九日 平和の母子像建立実行委員会

 土地提供者 飯島松雄

 

とあります。

 

このブロンズ像が立つ山の麓には平和な団地が広がっています。

 

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米軍基地、日米安保条約憲法9条

どれも難しい問題です。

 

必要だからあるのだ、という意見の人と、即時廃止を、という意見の人たちが真っ向に対立し、そのどちらの言い分も成る程とうなずけるところもあるのです。

 

ただ、米軍機が墜落する事によってあまりにも痛ましい事故が起き、それによって幸せであったろう一家の生活がズタズタに切り裂かれた事には違いありません。

 

皆さんもそうだと思いますが、誰にも純真無垢な幼い時代がありました。

そんな時に全身を焼かれて絶命するという無慈悲。

 

このブロンズ像の由来を調べるにあたって、元新日本婦人の会神奈川県本部会長の柳下靖子さんが残した「事故現場で見た、半分焼け焦げ転がっていたおもちゃを、今でも鮮明に覚えている」という言葉が、この事故の惨たらしさを今に伝えています。

 

事故からは、すでに40年を超える歳月が過ぎています。

せめて、何の罪も無いのにも関わらず、このような哀れな亡くなり方をした3人の親子が、天国で仲睦まじく幸せな時を過ごしていてくれる事を願ってやみません。