座間の芹沢公園と、栗原小学校の間に急な坂道があります。
地元の人たちは、この坂道を「三屋の坂」と呼んでおり、もともとこの坂のところに三軒の家があったことからついた名前である、とされています。
このあたりはいかにもな古道の趣を残して、まるで数百年の時の流れを止めてしまったかのような空間が流れています。
現在ではすっかり舗装されていますが、昔はもちろん泥道でした。
ひとたび雨が降ればまるで滝のようになってしまい、またそうでなくとも木々が鬱蒼と生い茂って日光を遮るので、いつもこの坂はじめじめとして湿気が多く、路面にはコケが生えて滑りやすく、とても歩きにくい坂だったそうです。
さて、この「三屋の坂」をくだったところ、いかにも昔の辻(交差点)であったろう所に出ますが、このあたりには妖怪「なべつるし」の伝説が残されています。
なるほど、現代にあっても木々が生い茂るところですから、今から数百年も昔とあれば昼間はもっと薄暗く、いかにも魑魅魍魎の類が出そうなところだったのかもしれません。
なべつるしというのは、髪を振り乱しボロボロの服をまとった老婆の姿をした妖怪だったそうです。
なべつるしは、いつもこの辻のあたりの木の上に潜んでは、大きな目をギョロギョロと光らせながら大鍋をつるして子供が来るのを待ち構えます。
この、鍋を吊るしていたことから「なべつるし」と呼ばれたのでしょう。
(参考画像)
子供が何も知らずにこの辻を通ると、上から鍋が落ちてきて子供は出られなくなり、そのまま大鍋で煮られて食べられてしまうという事で、子供たちからはたいそう恐れられていたそうです。
しかし、この言い伝えも時が流れて昭和の時代に入ると、次第に忘れられていったということを、近くにお住まいのまもなく100歳を迎えるというおばあさんから教えていただきました。
そのおばあさんも子供の頃は、なべつるしが出るから遅くに出歩いてはならない、と親から言い聞かされたそうです。
また、大人になってからは男女の区別なく勤労動員に出て、座間で戦闘機の部品を金属板から削り出す仕事をされていたということで、なべつるし意外にもなかなか聞き応えのあるお話でした。
また、この件について調べてみたところ、先達様のサイトには「なべっつるし」と紹介しれており、それによれば、現在の道路は比較的新しいものだそうで、本来の古道はこの擁壁に沿って伸びている獣道のようなところである、とされています。
どちらにしても、現代にあっても木々が生い茂って、昼なお暗い道もありました。
街灯も懐中電灯もない時代、灯りといったら提灯くらいしかなかった時代、この道を夜に歩けと言われれば大人だって気が進みません。
このような暗がりを歩いていたら、突如として大きな鍋が落ちてきて閉じ込められてしまった・・・ 考えただけでもパニックになりそうです(笑
いま、すっかり茂みは取り払われて明るい陽の光がさす道となりましたが、現在でも妖怪なべつるしはどこかで子供たちの歩みを見守っているのでしょうか。
最近はなべつるしよりももっと凶悪な、子供を狙う悪魔がそこかしこに出没してニュースを騒がせています。
西多摩の方のM事件などは今でもその異様さが脳裏に焼き付いています。
どうか、子供を殺して自らの子供に食べさせていた鬼子母神が改心して子供を守る守護神となったように、妖怪なべつるしも心を丸くして、優しい目で子供達を見守ってくれているといいな、としみじみと感じ、原付のエンジンをふかして逃げるように栗原の地を後にしたのでした。
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