横須賀市の久里浜と野比のあいだ、くりはま花の園という広い公園の南側に、公園の敷地に食い込むようにして伸びている細い谷戸があります。
谷戸には棚田が広がり、奥にはぽつりぽつりと人家が並ぶのどかなところですが、山間に食い込む奥まった袋小路となっていることから、ふだんは人通りが少ないところでもあります。
この谷戸は、通称「牛隠しの谷戸」と呼ばれていた時期があります。
260年あまりに渡ってさかえた江戸幕府も終焉を迎えようという嘉永6年(1853年)、アメリカのペリー提督率いる東インド艦隊が4隻の黒船を浦賀沖に登場させ、海岸という海岸、高台という高台は見物人で埋め尽くされて露店まで出る賑やかさだったといいます。
しかし、当時の人たちは西洋人などと会った事がある者はごくまれで、姿も形も着ている者も違う「毛唐人」は興味の的でもあり、恐怖の的でもありました。
ちりちりの黄色い毛、赤ら顔で大きな体、通じない言葉を話しては仏罰を恐れずに肉を食らう、その様は「鬼」と信じられてもおかしくはなかったのでしょう。
そのうち、「毛唐人は牛を食う」という噂までが流れます。
この噂はあながち嘘ではないのですが、当時の日本人は牛はあくまでも畑仕事や荷を運ぶ相方であり、また仏教の戒律で肉食が戒められていた時代でもあり、牛を食べるという考えはなかったといいます。
「大切な牛を取られてはたまらない」と村中は大騒ぎになり、牛をまとめて連れてきては、みんなこの谷戸に隠してしまったという事です。
いま、この谷戸には稲刈りを終えた棚田が広がり、頭上にはトンビが旋回する牧歌的な風景が広がっていますが、かつてこの谷戸に村中の牛が集められ、固唾をのんで「毛唐人の襲来」を今日か明日かと噂しあった村人たちの話し声が聞こえてくるようで、ここにもかつての在りし日の思い出が、昨日のことのように鮮やかによみがえるのです。
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