みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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現代の人々を見守り続ける 路傍の石仏群(横浜市栄区)

JRの本郷台駅の近くからまっすぐに北上して舞岡の方面に行く、通称「桂町戸塚遠藤線」という道路があります。

 

この道路が環状3号線と交差するあたり、赤坂という交差点のところに石仏が祀られていたのが見えたのでちょっとお参りさせていただきました。

 

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この石仏はコンクリートの壁に穿たれた台座に据えられており、その脇に設置された案内板には以下のように記されています(原文ママ

 

鎌倉古道木曽の石仏

この石仏は旧鎌倉道の木曽と赤坂の境の辻に行路の安全を願って安置されたもので風化が著るしいが地蔵菩薩一体と如意輪観音又は聖観音一体であり造像年代は江戸元禄ごろと推定される 又土地の性質から道祖神の役割も果していた

尚稱蓮社然誉願生大徳の碑は浄土宗の供養塔である

 

江戸の元禄ごろというのは、西暦にして1688年から1704年。

江戸幕府5代将軍徳川綱吉公のころで、官民ともに泰平の世をうたい、絵画や文学などの文化が大きく花開いた頃でもあります。

 

この石仏3体はどれも摩滅がひどく、片方は地蔵菩薩、もう片方は如意輪観音又は聖観音と説明版にはありますが、正直言ってどちらがどちらなのか、みうけんには全く分かりませんでした。

 

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このようにひどく摩滅した石仏というのは、この横浜市栄区のような内陸よりよりも、三浦半島鎌倉市といった海沿いで、絶え間なく海風にさらされてきた石仏に多く見られます。

 

その石仏が作られた石材の材質も関連してくるので何とも言えないところですが、ここ栄区といった内陸部でここまで摩滅が激しい石仏というのもなかなか珍しいものです。

 

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また、「尚稱蓮社然誉願生大徳」の日は享保年間のものですから1716年から1736年の間をさし、江戸幕府8代将軍であった徳川吉宗公のころのものです。

 

「稱蓮社 然誉」とは浄土宗僧侶の名でしょう、稱蓮社が号、然誉が名であると思われます。

いっぽう「願生」とは法華経の教えの一節で、自分がいつ、どこで、どのような境遇で生まれ生きようとも、それに対して不平不満を言わずに生きなさいという教えです。

 

自分が置かれた境遇を受け入れる事をこえ、むしろ自分が望んだ道であるとして精一杯に生きれば、自ずと道は開けますよ、という教えであり、またそのように心がけて生きる事を願生といいます。

 

 「大徳」は「だいとこ」と読み、仏のみならず高僧など徳行の高い人物に対してつけられた敬称です。

 

この「稱蓮社 然誉」に関しては詳しい文献は見つかりませんでしたが、想像するに高い徳と修行で人々から敬われ、愛された僧侶であったのかもしれません。

 

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また、その脇に置かれた丸い石はひと抱えもありますが、力石として伝承が残されています。

 

かつて、多くの若者たちが力自慢としてこの石を持ち上げて競ったのでしょう。

 

何でも機械に頼る現代とは違い、全ての作業は自らの腕力でこなし、また全ての行程は自らの足で歩いた時代です。

 

当時の若者の筋力と忍耐力は、おそらく現代人とは比べ物にならなかった事でしょう。

 

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いま、これらの石仏たちは完全に摩滅してしまい、その作られた年代や奉納された方のお名前どころか、お顔の表情やお召しの衣服すら明らかではありません。

 

もし、このまま放置されていたならば、このまま海風にさらされていつしか時代の忘却の彼方に消えていってしったかもしれません。

 

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それでも、今なお三体の石仏の前には真新しい花が捧げられて香華が手向けられ、さらに洞内は綺麗に掃除がなされて、地域の人々から愛されて大切にされている様が容易に見て取れます。

 

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この物言わぬ石仏と供養塔、そして力石は今日も現代に新しく切り開かれた路傍にあり、無数の車たちが振り返りもせずに往来していく様を見守り続けています。

 

交通の形態、歩く人の身なりは変わり、流れ過ぎ去りゆく時流の果てにそのお顔は著しく摩滅しましたが、今なお御仏の慈悲は変わらずにありつづけ、この地を往来する人々を見守り続けているのです。

 

 

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