横浜市南区六ッ川にある六ッ川一丁目の交差点から少し山の方に入っていくと、見事な森に抱かれるようにしてある高野山真言宗寺院、引越山 福壽院 定光寺が見えてきます。
この定光寺は創建年代等は不詳ながら平安時代に活躍した覺清法印が開山した、という言い伝えがあることから相当に歴史があるお寺であるようです。
東国八十八ヵ所霊場の第59番となっており、脇には「マヤ幼稚園」を控えています。
この定光寺には、寺の裏にそびえるカシの木にまつわる言い伝えが残されています。
むかし、この定光寺の裏山に茂る森は、村を災害や疫病から守ってくれる鎮守の森であるとして大切にされ里人たちからの信仰の的になっていました。
この森の奥には、森の主とも言わんばかりに大きく成長した立派なカシの大木がそびえ、ご神木としてもあがめられてきました。
その木は、何本もの太い幹が寄り集まって一本の木のように見えるほどの立派なもので、これこそが仏様の宿る木であるとして、この木と木のすきまに石のお不動様が祀られたことがあるそうです。
時は過ぎて木はみるみるうちに成長し、木の中にあったお不動様はいつしか幹に埋もれていって取り出せなくなり、とうとう木の中に包み込まれてしまったということです。
これは、「カシの木がお不動様を腹ごもりした」と大変評判になり、村人たちはこのカシの大木をますます神聖な木であるとして、大切に守り続けたということです。
このカシの大木は、現在では樹齢500年をこえ、今なお定光寺の裏山にそびえ立っているという事ですが、お寺のところから裏山を眺めてみるものの、どの木も実に立派であったので、どの木が例のカシの木であるのかは分かりませんでした。
しかし、この定光寺の裏山にはたくさんの木々が今なお茂り、すっかり開発され住宅街ばかりとなってしまった横浜の地において、鳥たちの貴重な休憩場所となっているようです。
いま、定光寺の本堂に合掌礼拝し、裏山にそびえる木々を眺めて回る時、かつてこの近辺の村人たちが木の生肌をなでながら祈りを捧げ、読経の声の中で不動明王の石像を安置したであろうことがにわかに思い出され、里人たちの絶えることのない信仰心がいまに甦って来るかのようです。