中井町の井ノ口あたりから暗渠を出て二宮を経て、大磯の街を西から東へ横断した後に相模川に流れ込む葛川という川があります。
現代では二級河川という位置づけですが、この葛川の流域は遠くに大山を望み、眼下に相模灘を見下ろす風光明媚な土地柄で、また東海道や小田原も近かったこともあり人の往来も多く、なかなかに歴史と民話に富んだところでもあります。
その葛川から分岐する小さな清流で、中井町と二宮町の境となる「立沢」という川にも満たない流れがありますが、この立沢が今回のお話の舞台となります。
むかし、このあたりの下井ノ口から七国峠へぬける道のとちゅう、立沢のあたりは木々がうっそうとして茂り、昼なお暗いところだったそうです。
その辺りには大蛇が棲みついて行き来していたそうですが、そこから少し離れた所に見上げるような一本の松の古木が聳えていたそうです。
ここには、今でも一本松という地名が残されています。
この辺りはさして高い建物や丘があるわけでもなく、目の前には雄大な相模灘を望み遠く房総までが望めるような風光明媚なところだったので、いつしか峠越えの茶屋が立ち並ぶようになり、辻には道標や石仏までがならんで、往来する旅人たちでたいへんにぎわったということです。
そんなある年、上井ノ口に住む農家の娘が、畑仕事をしている親たちに昼の弁当を届けようとこの一本松の木の近くを通りかかった時のことです。
まだ日も高いのに、どういうわけか急に眠くなってしまいどうにも我慢できず、ついつい土手にもたれかかって居眠りをしてしまいました。
娘がウトウトしていると、大きな松の木の上から何かが降りてくる気配がします。
しかし眠気には勝てずに、そのまま少女は眠り込んでしまい、こうなれば頭から大蛇に飲み込まれてしまうのは時間の問題でした。
ところが、だんだんと大蛇が少女に近づくたび少女の頭には炎が立ち上り、遠ざかれば消えるが近づけばまた燃え上がり、を繰り返すため、どうにも大蛇は娘の頭を飲み込むことができません。
いっぽう娘は、頭が燃えているのにも関わらず気持ちよさそうな顔で寝入っています。
そうこうしているうちに、あまりに娘が遅いことを心配した父親が探しにきて、大蛇は見つかってしまいます。
父親は大慌てで棍棒を振り回して大蛇を追い払い、危ないところで娘は命拾いしたのです。
さて、この娘の頭から燃え上がった炎は一体何だったのか。
親が首を傾げて考えたところ、この娘の髪をゆった紙ひもは、母親が大山不動尊のお札だったことがわかりました。
お札を細くねじって「こより」にしたもので、そのお札に宿るお不動様が自らを包む炎を使って娘を守ってくださったのだ、という結論に至ったのです。
それから、この娘の家では前にもまして不動尊への信心を篤くしたと言われています。
いま、この立沢の近くには大蛇の姿は見ませんが、この時は1メートルもあろうかというアオダイショウがゆうゆうと歩いていました。
これほど大きなアオダイショウを見たのは久しぶりです。
昔から、また今でも人と蛇とのつながりは密接なようです。
後編では、この地域にもう一つ伝わる「蛇橋」の民話を紹介したいと思います。