みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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琵琶法師に調伏された大蛇の話 新横浜の蛇幸津神社(横浜市港北区)

今では新幹線の駅もできて発展いちじるしい新横浜のあたりですが、新幹線の駅ができるまでは一面の湿地帯で人も住まないところでした。

 

しかし、昭和39年(1964年)に国鉄横浜駅が開業すると駅の周りはみるみるうちに発展していきます。

 

特に、今ではすっかり忘れ去られてしまった新横浜地域の字(あざ)のひとつに「勝負田」(しょうぶだ)というものがあり、その由来は小机城や篠原城をめぐっての戦いがあったからだという説、ショウブが自生するような低湿地だったからという説、さまざまです。

 

その中で、近くにある蛇幸津神社(じゃこつじんじゃ)にまつわる興味深い民話が残されていたので、紹介したいと思います。

 

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横浜駅すぐの一番発展しているところ、現在の新横浜二丁目交差点のあたりはもともと字「蛇袋」(じゃぶくろ)と呼ばれていました。

これはもともと、言語学的には川が大きく蛇行しうねっているところ、という意味があることから、かつて鳥山川の流れが氾濫のたびに姿を変えたということも想像できます。

 

鶴見川はもともと暴れ川と呼ばれ、昭和に入ってもたびたび氾濫して周囲の人たちの生活を脅かしていましたから、そんな名前の地名がつくのも納得がいきます。

 

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この蛇袋には信じられないくらいの大蛇が住み着いていたそうです。

その大蛇は川を遡ったかと思えば空を飛び、土の中に潜ったかと思えば海を渡り、その姿も変幻自在であったから、誰もその大蛇の本当の姿を見た事が無かったというのです。

 

時折、大蛇は機嫌を損ねると大地をのたうち回り、その大きな尻尾で地面を叩くものだから、その跡はどんなに豊かな田畑でもどうしょうもない荒地となり、村人はほとほと困り果てていました。

 

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そんな時、この村に1人の琵琶法師が住み着きます。

琵琶法師は盲目のまま諸国を旅して琵琶を弾き語る旅芸人で、この近くにはもうひとつの琵琶法師の伝説があります。

 

 

さて、大蛇は何を思ったのか、魔物に化けて突如この琵琶法師に近づき、ジャンケンを挑んで来ました。これが現在の「勝負田」の由来である、という説もあるそうです。

 

そこで琵琶法師は、「もし琵琶法師が負けたならばいつでも頼りにしている杖をやろう。もし琵琶法師が勝ったのであれば、どんな時でも哀しみを忘れられるこの琵琶をやろう」と約束をして勝負を受けたのだそうです。

 

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勝っても負けても何かをもらえるとは、なんとも得な話。

しかし、どうせなら琵琶法師に無くてはならない琵琶を分捕ってやろうと悪巧みをした大蛇は勝負もせずに「参りました」と一言だけ言うと、さっさと琵琶を奪ってどこかへ消えてしまったのです。

 

あまりの事に、固唾を飲んで見守っていた村人たちも発する言葉も見つからずに、ただ呆然と立ちすくんでいましたが、やがて魔物が弾くはずもない琵琶の音色がどこからか聞こえてきては、姿を隠す大蛇の居所がたちまち分かるようになってしまったのです。

 

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琵琶法師は、目が見えない分聴覚が優れていたので、どこから音が聞こえるのかをたちまち言い当てては杖で地面を叩くものだから、大蛇も気が気ではなかったのでしょう。

やがて大蛇は我慢も限界に達し、琵琶法師をどうにかしてやろうと地中から姿を現した瞬間に杖で頭を叩かれて、そのまま眠り込んでしまったのだと言う事です。

 

その後、蛇の体は徐々に石となり、今でもウロコの文様をわずかに残したままです。

これが、この神社の本来の名称である「蛇骨神社」の由来となり、その石はいまでも神社の脇に残されています。

 

さて、その時に琵琶法師が手にしていた杖は、大地に突き立てられたまま芽を出して、やがて見上げるような杉の大木となりました。

その杉の大木は戦時中に爆撃機の目標になるという理由で切られてしまいましたが、明治初期の古地図にはハッキリと記載されています。

 

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現在、杉の木は無くなってしまい、鬱蒼とした森もどこまでも続くぬかるんだ沼地もすべて開発され、「蛇骨神社」はビルの谷間に埋もれてしまったばかりか、縁起が悪いと判断されたのか、門柱には「蛇幸都神社」という聞いただけで幸せになれそうな当て字で神社の名前が刻まれています。

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いま、この蛇幸津神社の前に立ち、蛇の残したお骨といわれる石にそっと触れていると、かつてこの地を支配した大蛇の息遣いと、それを恐れる村人たちのおののき、そして静かに策略を練る琵琶法師の弾く琵琶の音がにわかに蘇るようで、ここにも民話というものの面白さを実感するのです。

 

 

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