横浜市南部の中心地であり、横浜市の副都心としても発展を極める上大岡駅から5分ほど南にいくと、静かな流れをたたえる大岡川のほとり、青木橋がかかるところに青木神社という神社がある。
この青木神社は、その別名を「ぬすっとの宮」、「盗っ人の宮」ともいい、それには以下のような言い伝えがある。
もともと今の場所から少し上流の、西岸の高台に建っていたとされている。
それが、ある年(天明6年=1786年と伝えられるが諸説あり)に大雨による土砂崩れが起き、周囲の家も畑も押しつぶし、飲み込んでしまったことがあった。
青木神社も跡形もなく流されてしまい、村人が慌てて下流へ探しに行くと現在の場所にそっくりそのまま、社殿も鳥居も移っていたのだという。
自分たちの鎮守さまが隣の村へ行ってしまったと、大慌てで戻したものの、翌日の朝には青木神社はまた煙のように消えてしまい、隣の村に行ってしまったという。
戻しては隣村へいなくなり、また戻しては隣村へ、という事が何度も続き、これは人間の悪戯ではない、このような大きなお社を壊すことなく動かすのは鵺(ぬえ)の仕業であると噂されるようになったのである。
鵺というのは猿の頭、虎の胴体、蛇の尾をもった妖怪で、当初は鳥として扱われたものが徐々に四つ足に変化した妖怪で、夜になれば人を惑わす声で鳴き続けて悩ませる妖怪とされていた。
これにより、隣村の村人は村の土地をほかの村の鎮守に貸す羽目となり、かといって神様のなさることに異議も唱えられず、村の土地を盗んだから「盗人の宮」と呼ばれるようになったとも、また「鵺住」(ぬえず)の宮がなまって「ヌスットの宮」になったとも言われている。
また、上大岡駅からほど近くの自性院という寺には、勘九郎地蔵という地蔵がまつられているのを見る事ができるが、この由来については昔、勘九郎というものが自性院の近くで盗賊に殺された際、その盗賊が青木神社をねぐらとしていたからだとも、青木神社に逃げ込んだからだとも言われている。
いま、治水の技術も向上して大岡川が大きな氾濫を起こすことは久しく無いが、今は穏やかに流れて鯉や水鳥の住処となり、青木橋では川を眺めながら楽しそうに渡る保育園児たちの笑い声が青木神社まで聞こえ、今日も平和な上大岡の街を静かに見守っているのである。