横浜の街を眼下に望む高台に、ひときわ有名なのが横浜市の総鎮守である伊勢山皇大神宮と、成田山横浜別院延命院であるが、その傍にある穐葉山(あきばさん)満徳寺も、また風情があるお寺である。
このお寺の歴史は比較的新しく、廃仏毀釈の大弾圧も落ち着いた頃の明治11年(1878年)に曹洞宗の布教所として設立された。
明治26年(1893年)、静岡県袋井市にあった萬徳寺(天正15年(1587年)開創)を移し、布教所から寺院へと変わっていまに至っており、本尊の如意輪観世音の他には秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)、道了大薩垂(どうりょうだいさった)をお祀りしている。
この寺院の片隅には、小さな馬頭観音が安置されており、いつも新しい生花が供えられているのを見る事ができる。
この馬頭観世音は、頭が馬、体が人間のような像容をしており、「ベンジャミン号に捧ぐ 1977〜1992」と刻まれ、これが競走馬ベンジャミン号の霊を慰める馬頭観世音である事を今に伝えている。
この馬頭観世音は、よく見るとキリスト教カソリック派の護符であるロザリオのようなものを手に下げ、その先には十字架がついているのが実に珍しい。
このベンジャミン号は競技乗馬として、数多くのレースに出場し、また数知れない程の馬術部員の育成に貢献、競技に活躍したが或る時、人的不注意の事故により永眠した、と説明板にはある。
その遺徳と功績を称え、また競走馬として闘いつづけた生涯をなぐさめるべく、ベンジャミン号をこよなく愛した飼い主の御婦人によって石仏が奉納され、また幸いにも当寺のご住職の理解ある計らいで、ここに建立されたのだという。
ベンジャミン号は日本の高度成長期が終わった頃からバブル経済、大不況を迎える頃までの間にかけて、数多くのレースに出場し競馬ファンを楽しませた。
今なお、当時のファンたちが野毛の場外馬券売り場への道すがら、お参りする姿があるという。
奇しくもこの日は競馬の開催日で、野毛の街には多くの競馬ファンが列をなしていた。
いま、このベンジャミン号を象った馬頭観世音の前で、競馬新聞を携えた人々が行き交うの下町を見渡すとき、今なお語り継がれる名馬の遺徳に、ただただ頭が下がるのである。