横浜駅西口から北側の台町の方角に進み、東横線の線路沿い、反町駅の手前に元々はこの近辺で漁師の守り神として崇められた大綱金刀比羅神社がある。
現在では主祭神は大物主神と金山彦神、日本武尊、飯綱権現を祀っており、地元では金比羅さまと呼んで親しまれている。
住宅地に囲まれて眼下には鶴屋町の繁華街を望む立地の境内には、今なお水をたたえる池があって大きな亀が日向ぼっこしている姿を眺めることができる、街中にあってなおのどかな神社であり、その池の奥の洞窟には弁財天が祀られているのである。
かつて、この池に覆いかぶさるようにして松の大木が生えていた。
この松は「天狗の腰掛松」と呼ばれ、満月の夜になるたびに、どこか遠くからカネを打ち鳴らす音が聞こえてはだんだんと近づいてきて、この松のところで止まってしまうので村人の間ではたいそう不気味がられていたという。
ある日、満月の夜にこの鐘の音を聞きに来た者がいて、やはりだんだん近づいてきた鐘の音がここで止まってしまったので首をかしげていると、どこからともなく
「我こそは武州・高尾山の天狗なり。いつもは上総 (現在の千葉県)鹿野山に住む仲間の天狗の所へいくのだが、ここでいつも休んで居る。この松はわしの腰掛松。決して伐ってはならぬぞ」と大きな声が聞こえたのだという。
この話は瞬く間に近隣の村々に広まった。
やがて、この辺りでは天狗といえば誰もが大綱の金刀比羅さま、とまるで合言葉のように認知されていったのだという。
また、江戸時代に今の虎ノ門近くにある江戸の金比羅宮を篤く信仰する男がいた。
この男が大きな天狗の絵馬を作らせて、四国にある金比羅さまへ奉納しようと、かついでこの神奈川宿のあたりまで持ってきた時のことである。
この神奈川宿の大綱金刀比羅神社の近くへさしかかったとき、突然に天狗の絵馬が重くなってしまい、四国どころか一歩も歩けなくなってしまった。
皆でいくら押しても、引いてもびくともしない。男はほとほと困り果てていたが、絵馬から声がしたので聞いてみると、「わしは天狗の腰掛松のある、この飯綱権現にいたい」と言い出したのである。
しかし、この男はどうしても四国へ持っていこうとあれやこれやと手を尽くしたが、ようやく漁師の船を借りて船に乗せて四国へ行こうとしたときに、それまで晴れていた空が急に曇りだして風が吹き、海は大しけとなって舟を出すどころのさわぎではなくなってしまった。
そんな日が幾日も続き、やがて男の夢枕に大きな鼻の天狗が立つや、「お前はまだわからぬか。わしは、ここの金比羅さまの所でよい。四国まで行きたくはない」というので、結局はこの大綱金刀比羅神社に奉納されたのだという。
いま、この神社には天狗に関する伝説を裏付ける説明版などはないものの、天狗の腰掛松は残念ながら倒木となりながらも大切に保管され、また木の切り株には天狗の顔が彫られるなど、伝説の一端をわずかに残して今に伝えているのである。