京浜急行の長沢駅のすぐ北側に、南向山 本行寺という日蓮宗のお寺があります。
戦国時代真っ盛りの永禄元年(1558年)に創建され、天明元年(1781年)に現在地に移転してきた日蓮宗の寺院で、三浦富士の山すそに抱かれた、とても静かなお寺です。
この本行寺の脇には八大竜王の祠が残され、今でも大切にされています。
八大竜王というのは竜神であり、日本では仏の教えを守護する仏教の守り神として、また水神として雨ごいに霊験あらたかであると崇められるようになりました。
この八大竜王の祠の前には、かつて大きな池があったといいます。
現在ではその沼は長沢村岡公園水泳プールとなり、見る影もありません。
しかし、池がそのままプールにされてしまう話はよくある事です。
残った部分は堤を隔てて山奥に食い込むようにして残されていますが、すっかり葦が生い茂って水面を見ることはできません。
しかし、昔の地図を見るとプールの部分も含めて大きな池であったことが分かります。
この池はかつては農地に水を与える大切な池で、他の地域に雨が降らずに農作物が採れなかったときも、この里のあたりはこの池から引いた水で事なきを得たといいますから、里人の間ではとても大切にされ、この八大竜王の祠もそれにちなんだものでしょう。
さて、この池の由来については面白い言い伝えがあります。
これは巨人の足跡だというのです。
子供向けといいながら、読んでみるとなかなか面白い「横須賀こども風土記」には、本行寺の住職代理の品田トシさんの話が紹介されています。
それによればデーボコ坊という巨人がこの地を歩いた時、眼前の三浦富士をまたごうとして足に力を入れたために大きな凹みができ、その凹みがこのような池になった、という事です。
デーボコ坊、ダイダラ坊などと呼ばれる巨人伝説は日本各地に残され、過去にもこのブログで横浜市の民話を紹介したことがあります。
また、宮崎アニメの「もののけ姫」を思い出す方もいらっしゃるでしょう。
また、ある人は象の足跡とも言ったそうですが、象の足跡にしては少々大きすぎるでしょうか。
かつて、仏教の発祥地であるインドは天竺と呼ばれていました。
江戸時代には「仏の国は、見上げるような大きな動物がいる」というような言い伝えがあったといいます。
初めて象が日本に来たのは、江戸幕府八代将軍であった徳川吉宗公のころで、江戸の町は見物人であふれて大変な騒ぎだったといいます。
この、はるか西方に棲むとされる不思議で巨大な「象」の伝説が、このような話を生んだのかもしれません。
現在、池の大きさは半分くらいとなり、夏には一見して一面に葦が生い茂り、夕方ともなれば聞こえるのはカエルの声ばかりの静かなため池ですが、このような所にも興味深い伝説が残されている、というところに民話探訪の面白さを感じます。