みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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竜神 浅間さまを祀った 雨崎海岸の伝説(三浦市)

三浦半島の東のはずれに、観光客などまず来ない雨崎というところがある。

一面が大根畑ばかりの畑が広がる奥に、こんもりと緑生い茂る小山があるが、一見したら何の変哲もない、意識していなければ無意識に通り過ぎてしまうようなところである。

 

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このあたりは戦時中は火薬処理場があって一般民間人の立ち入りは厳しく制限され、付近の海岸には近年まで旧日本軍の「九七式中戦車」が放置されていた。

 

また台風のあとなどには、おびただしい数の陶器製手りゅう弾の破片が砂浜に打ち上げられて見つかったことから、雨崎の海岸は別名「砲弾海岸」とも呼ばれている。

 

この小山の上には、ひっそりと小さな社があって、地元の村人からは雨崎さまと呼ばれて大切に崇敬されている。

 

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ここを訪れてみれば、地元の人のみが参拝するような実に小さな社であるばかりか、その社に至る道は相当気合を入れて探さなければ見つからない。

人知れず森の中に埋もれるように鎮座されているのである。

 

小さな丘の間を埋めるような狭い畑の奥、軽自動車がやっと通れるかといった狭い農道の奥に、目を凝らせばなんとか見えるといった感じのケモノ道が分岐しており、こちらが参道へ通じる小道である。

(詳細な位置はこちら


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この獣道を進んで行くと、一部舗装されてはいるものの、ほとんど草に覆われて埋もれていきそうな小道がつながっている。

このような所であるから、訪問するのであれば是非ともヤブ蚊のいない冬がいいだろう。また、しっかりした靴が必須である。

少なくとも、みうけんは夏に行く気にはならない。


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しばらく坂を下っていくと、三浦市東部浄化センターの建物が見えて来る。

このあたりで、右に90度曲がり、鎖をまたいで行くことになる。


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さらに進んで、朽ちたブルドーザーの脇を進んでいく。

このブルドーザーが一種のランドマークとなっているののであるが、いつからここで、こうしているのであろうか。

もう誰かが乗ることもなく、エンジンに火が入ることなく、もの言わずしてずっとここで朽ちていくのを待つばかりのブルドーザー。

かつて、豪快なエンジン音を上げ、排煙を噴き上げながら力強く土地をならしていた姿は、もうそこにはない。


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この道をずっと進むと、雨崎海岸に出る事ができる。

たまに誰かが歩いているのだろう、比較的に草が開かれており歩きやすくなっている。


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途中、右手に抱えきれないような巨石が見えてくる。

ここがもう一つの目印である。

(詳細な位置はこちら


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この巨石に向かって左手に、これまた分かりづらい登り坂がある。

この登り坂は、巨石の左手から入り、徐々に登って巨石の裏側を回り込むようにして続いているが、この辺りは足元が実に悪いので、滑落したりしないよう注意を要する。


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この登り坂が雨崎さまの正式な参道で、要所要所に階段などこしらえてあるが、ほとんど埋もれて意味をなしてはいない。

この階段も朽ちているので、踏むと崩れてしまうし、残された鉄筋の棒が地面に突き出しているのでつまずく可能性がある。

ここでも注意が必要である。


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本当にこの道であっているのか、不安のあまり写真がブレてしまったが(笑)、ようやく立派な鳥居が見えてきた。

ここまで来ればもうすぐである。


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ようやく見えてきた小さな社。

これこそが、不思議な大蛇の伝説をいまに伝える、雨崎さまなのである。


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伝説によれば、このあたりには昔から胴回りが樽のように大きな大蛇が住み着いていて、房総の勝山あたりまでの海上を毎年何度となく行き来していたという。

 

その大蛇は雨崎の浅間さまと呼ばれ、毎年五月雨が降るころになると、浅間さまがお通りになるという事で、この辺りには決して近寄らない習わしであった。

 
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ところがある夏、村人が夕餉の足しにとヒジキを刈りに磯に出た時、突然のように空に暗雲が立ち込めたかと思うと周囲は生臭い熱気に包まれた。

やがて沖の方から怒涛のように近づいてくる白波を認めて何事かと見つめていると、それは房総の方角から波しぶきをあげて泳いでくる巨大な大蛇で、その金色の鱗が不気味にかがやき眩しいほどだったという。


また、別の村人は畑仕事を終えて自宅に戻る夕暮れ時、周囲の雑草がひどく踏み倒されているのに気が付いた。

と同時に、周囲は生臭い臭気に覆われ、何かが近づくような音がしたので近くの大木に身を潜めて眺めていると、今まで見たこともないような巨大な大蛇が今まさに野ウサギを仕留めようと両目を輝かせているところで、その口から出入りする火焔のような舌と、獲物を射るようなまなざしで、さしもの村人も腰を抜かしてほうほうの体で逃げ帰ってきたのだという。

 
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これからしばらくして、このような目撃談が後を絶たなかったというが、その大蛇を目撃した村人は例外なく高熱にうなされ、または正気を失ってさまよい、病の死を迎えるか、あまりの恐ろしさに気がふれて家族を道連れに不幸な最期を遂げたものもいたという。


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こうした事が続いて、大蛇が住む洞窟があるという雨崎の山頂の、海を望む高台に社を築いて雨崎様と呼び、この大蛇をなぐさめることになったのが現在の雨崎さまであり、現在でも4月3日の祭礼の日には村人たちが集まってお祭りをするのだという。


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この雨崎さまの境内からは、南側に一面に広がる畑を、北側にはるかに広がる東京湾の海原をのぞむことができる。

この海原を、かつて金色に光り輝く大蛇が、その身をくねらせながら悠々と泳いでいたことであろうか。


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みうけんは十二支が巳であるという縁もあり、雨崎さまには特別に親しみを感じる。

じっくりと手を合わせて挨拶したあとは、ふたたび坂を下ってそのまま雨崎の海岸へと降り立ってみた。

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その海岸は、歩く人も釣りをする人もおらず、ただ荒涼として静かな磯が広がるばかりであり、寄せては返す白波の砕ける音だけが寂しく広がる海岸に一人たたずむとき、かつてこの海を悠々と泳いだ金色の大蛇と、それを見つめる村人たちの姿が思い起こされるようで、感慨もひとしおである。

 

 

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