箱根の小涌谷から芦ノ湖に続く国道1号線は、平日であれば通る車もさほど多くはなく、二子山の麓から眺める箱根の山々は初夏の彩りも美しく、まことツーリングには最適の時季である。
その国道1号線沿いにある精進ヶ池は木々の隙間に埋もれるようにしてひっそりとあり、水は濁っているが、ずいぶん昔からこの地に水をたたえては牛馬や旅人の貴重な飲み水ともなったのだろうか。
この、今では風光明媚な山並みと池の調和を見せてくれる精進ヶ池には、聞くも悲しき大蛇と青年の恋の伝説が残されているのである。
むかし、箱根村に庄次という男が住んでいた。
庄次は箱根の湯治客を相手にする盲目のあんまであると同時に尺八の名手でもあり、日頃から夜になると精進ヶ池のほとりで尺八を練習していたのである。
すると、どこからともなく美しい女が現れては聞き入るようになり、やがて二人は深い仲になった。
月日は流れ、満月を明日に控えたある夜、女は泣きながら自分は実は池の大蛇なのだと打ち合け、年が満ちて次の満月には天に召される身であり、この日を区切りにお別れだと告げたのである。
その時、天は多いに荒れて沼は濁流となって村を飲み込むであろう。しかし他は死に絶えても庄次だけは逃げるように、ただし決して他言はせぬように、と女は言った。
庄次は驚き、最初は女の言う通り押し黙って悩んでいたが、やはり隠しては一生の後悔となろうと村人に一部始終を打ち明けたのである。
村はたちまち大騒ぎとなり、村の物知りがヘビは金物を忌み嫌うというので、村人たちはこぞってありとあらゆる金物を池に投げ込んだのである。
瞬く間に雷鳴が轟き、天地は揺れて山を揺るがしたものの、おさまってみれば池には大きな樽のような太さの大蛇が、池の水面で息絶えていたのである。
ちょうど時を同じくして、湯本に通じる日和見坂に庄次の亡骸が発見された。
全身に蛇の鱗が突き刺ささり、血だらけになり息絶えていたのだという。
その後、この池は投げ込まれた金物により池の魚も死に絶え、しばらくは「庄次ヶ池」と呼ばれていたが、いつしか「精進ヶ池」と呼ばれるようになったという。
この悲しい哀話は、今なお箱根に住む人々の間で語り継がれてきたが、現在の精進ヶ池はそのような事があった事を忘れてしまったかのように静かな水面をたたえ、水鳥たちが羽を休めるところとなっている。
一見平和で静かなこの池にも、いにしへの時代を生きた人々と森羅万象の記憶が確かに息づいているのである。