みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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いにしへより子供たちを見守り続ける用野観音堂(厚木市)

小田急本厚木駅から愛川町へと向かう国道412号線を北上すると、愛川町に入る手前の荻野の里に差し掛かる。

 

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この荻野の里を、小さなせせらぎとなって流れる荻野川に沿ってさかのぼると、一段高い階段の上に、今では無人となった寂しげな用野観音堂にたどり着くのである。

 

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これは明治10年(1877年)に廃寺となった全応院の観音堂であり、地元ではカンノンサマと呼ばれて子授け安産の霊験があらたかであると信仰されてきたが、今となっては参拝する人も久しく無いのか、扉は硬く閉ざされたままで、門前の公園で遊ぶ子供の姿もない。

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かつて、この観音様に詣で、端切れでできた「ソコヌケブクロ」、それも男児を願う場合は赤いソコヌケブクロとお札、オロウと呼ばれるろうそくを貰い受けて出産に挑むと安産に霊験あらたかとされていた。

 

この時は扉は閉ざされていたが、お堂に輝く朱色の屋根は真新しく塗り替えられて麗しく、今なお里人から大切にされて今でも4月9日近くの日曜日には祭礼が営まれているという事である。


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この観音堂の脇には卵形の、おそらく住職であったか大和尚などと陰刻された、僧のものと思しき墓が立ちならび、そのいくつかは崩れかけてはいるものの、今なおこの観音堂を見守っているかのように静かに佇んでいるのである。


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また、この周囲には古びた地蔵菩薩の立像が立ち並び、今でも赤い涎掛けがかけられており、また裏山に登れば享和年間に作られたと刻まれる古い社が立ち並んで、昔からこの地が地域の信仰の中心であった事を伝えているかのようである。


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いま、観音堂の背後の山や観音堂の境内からは昔と変わることなく、連綿と人々が暮らしてきた用野の里を望むことができて、その穏やかさと景色の美しさは筆舌に尽くしがたく、この用野観音堂の境内に立ち、眼下の風景を望んでいると実に心が洗われるかのようである。

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思えば、この時は平日の午前中。

子供たちは小学校で勉学に励んでいる時間だろうか。なるほど、公園には誰もいないわけであって、きっと午後にでもなれば子供たちが集まってくるのであろうか。

 

いにしへより安産の観音として篤い信仰を受ける用野の観世音菩薩は、子供を愛すると伝えられる地蔵菩薩を引き連れて、この世に生まれる子に健やかなれ、幸多かれとの願いをかけつつ、いつの時代となっても、この里に生まれて暮らし、この小さな公園で遊ぶ子らを優しいまなざしで見守り続けているのである。

 

 

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