みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

小田原北条氏の宿老 北条幻庵の屋敷あと(小田原市)

小田原市小田原城曽我梅林が有名な歴史のある地で、新幹線の駅や箱根への入り口もあり常に賑わっているところですが、久野の里のあたりまで来れば観光客の姿を見ることはほとんどありません。

そんな久野の里を原付で走り、久野駐在所のあたりから久野保育園へと向かう細い道を原付でそろりそろりと走りました。

 

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この路地を抜けた所は急に開けて、小さな鳥居と社が見えてきます。

もしかしたら祝殿という、地域の一族が守護神として造った小さな祠のように見えますが、これは戦国時代初期に活躍した北条幻庵(ほうじょうげんあん)の屋敷跡なのだそうです。

 

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北条幻庵は小田原北条氏を栄えさせた始祖ともいわれる北条早雲の四男にあたります。

幼いころには僧となって箱根権現社の別当寺であった金剛王院で過ごします。

若くからしてこの久野を本拠地と定め、天文11年(1542年)に甥であった玉縄城主の北条為昌が亡くなると、代わって三浦衆と小机衆を指揮下に置くようになります。

この時に「静意」の文字が刻まれた印判を使い始め、この印判状は本拠地であった久野の地名から「久野御印判」と呼ばれています。

 

政治家としても僧侶としてもすぐれた人物で、さらに合戦の時には陣頭に立つなど優れた武将でもありましたが天正17年(1589年)、当時としては異例の長寿の97歳で亡くなっています。

 

 

それほどの人物ですから、さぞかし立派な屋敷だったのだと思いますが、現在は小さな社が建っているのみにすぎません。

2018年6月30日号の「タウンニュース」湘南・県西版によれば、屋敷の範囲は現在の久野小学校を含んだ約3000坪にものぼり、この周囲からは庭石や土塁、堀などが残されているそうです。

このあたりの字には「中屋敷」「太鼓屋敷」など、屋敷があったことを彷彿とさせる小字も残されているのです。

 

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その中心にあるのがこの祠で、この中には、北条幻庵のものとされる位牌が納められているのが、格子戸のガラス越しに伺うことができます。


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北条幻庵の位牌は実に立派なものです。

さすがは一世を風靡した小田原北条氏の長老ともいえ、大いに発言力を見せたそのさまを今に伝えているかのようです。

この位牌がいつ、誰の手によって作られたものなのかも興味深いところです。

 

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この社のすぐわき、鬱蒼と茂る木々の中に静かに水をたたえているのが幻庵池です。

この幻庵池は一説では当時からあるものとされ、背後には立派な土塁が残されているのが分かります。

この池は古くから地元に住む人たちの間で「幻庵さん」と愛称されて親しまれてきた池です。


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しかし、この池の周辺の土地は複数の地権者が係わっているために、地権者が歴史に興味を持たない人に世代交代した場合に開発され、消滅してしまう可能性は拭い切れていません。

 

現在は地元住民らによる維持保存が進んでいますが、この池が北条幻庵のいた当時のままの姿であったという確証がないために文化財としての登録も難航しており、どうにかこのような貴重な遺産を後世に残していっていただきたいなと思うところです。

 

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この時は詳しくは知らなかったので訪問はしていませんが、この近くには多数の五輪塔が残されたところもあるということで、これは次回の宿題にしたいと思います。

 

それにしても、このような貴重な池が開発の憂いにさらされているという事に心を痛めます。確かに、この池は当時の姿ではないかもしれませんが、当時の姿であるのかもしれません。それがどっちつかずのままに破壊されてしまえば、もう2度と元に戻すことはできません。

 

相続の問題、税金の問題など地権者の立場もわかりますが、日本中で失われていった貴重な文化財と遺跡の数々を思うとき、この幻庵池もどうにかして保全できないものかなと思ってしまいます。

 

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そんな事を考えるうちに、近くの「久野保育園」からは子供たちの元気に遊ぶ声が聞こえ、また小さい子供たちが走り回る姿を見ることができます。

古の名将、北条幻庵はこの平和な現代の姿を、そしてすっかり様変わりしてしまった自分の邸宅を、どのような思いで眺めておられることでしょうか。

 

この地に1人で立って静寂のなか位牌に手を合わせていると、豪奢かつ綺麗に掃き清められた庭を従者を伴い散策する、往年の北条幻庵の威風堂々たる姿が目に浮かんでくるかのようです。