横浜市鶴見区に、桜の名所として有名な「三ツ池公園」があります。
そのほど近くに、慶長年間(1596年〜1615年)に地域の名主であった横溝家によって整備された農業用ため池の「二ツ池」があります。
この「二つ池」には、獅子ヶ谷村と駒岡村にそれぞれ竜の伝説があり、前回のお話では獅子ヶ谷村での言い伝えを掲載させていただきました。
今回は、そのお隣の駒岡村でのお話を掲載したいと思います。
むかし、この駒岡村は三方が小高い丘に囲まれ、その中には大きな沼がありました。
この沼はどんな日照りでも水が枯れることがなく、村人たちの命の水として下流の田畑を潤しつづけている大切な沼でした。
それだけではなく、村人たちは暇を見つけては沼にきて、コイやフナ、ウナギやナマズなどを獲っては食べていたので、この村の人たちは病気ひとつすることがなかったといいます。
ところが、ある夏の夕暮れ近くのことです。
一番高い丘の頂に真っ黒い雲が現れたと思うやいなや、黒雲は雷鳴をとどろかせながら沼を覆い、どしゃ降りの豪雨を降らせました。
村人たちが固唾を飲んで見守っていると、黒雲はものすごい勢いとすさまじい音を立てて沼の中へと落ちていったのです。
しばらくすると、あれほど荒れ狂った空もいつしか元の静けさに戻っていました。
しかし、その沼からは、もう魚が獲れることはなく、1年、3年、5年と経っても、この沼には1匹の魚も見ることができなくなりました。
そんなある日、穏やかだった春の日に、また5年前を思い起こすかのような黒雲がたちこめては雷鳴がとどろきました。
そして、前回と同じように黒雲が沼をめがけて再び落下してきたのです。
村人たちが固唾をのんで見守っていると、地面を切り裂くような重くにぶいうなり声をあげながら、沼の水を巻き上げながら舞い上がる竜巻を見ました。
その竜巻こそは5年前に降りてきた竜でしたが、沼の魚を食べすぎたために育ちすぎ、雲に乗ることすらかなわず倒れこんでしまったのです。
その時の大きな地響きはすさまじく、隣りの村々でさえ地震だと大騒ぎになったほどです。
そのまま、竜の体は沼を二分したまま朽ち、草が生え、木となっていきました。
しばらくは村人が近づくことはありませんでしたが、徐々に沼にも魚が戻り始め、今の姿となったという事です。
時代は流れ、平和そのものの現代となった今では池の周りも宅地化が進み、もちろんながら竜の姿はなく、竜の体であったと言い伝えられる堤ばかりが池の中心を貫いています。
いま、静かにさざめく二ツ池の水面を静かにわたる鴨の群れを眺めながら、じっと釣り糸を垂れる人たちの数を数えるとき、かつてこの池で繰り広げられたという竜神の伝説がにわかに思い起こされ、昔日の言い伝えがまるで昨日のことのように脳裏によみがえったのです。
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