相鉄いずみ野線、弥生台の駅周辺は最近になって著しい発展を見せている新興住宅地である。
その弥生台駅の東側1キロあまり、住宅に囲まれて、車では入っていく事をためらわれるような細い路地が続いている。
その路地を原付でブンブンと進んでいくと、その突き当りには急な階段が姿を現す。
これこそは横浜市内のあたりで盛んに信仰されながら、しかして開発の波にのまれて大きく数を減らした「富士塚」のうちの数少ない1基への入り口なのであり、特に完全に残されたままの姿は市内でも実にたいへん貴重である。
もともと、富士塚は富士山を信仰対象とする人々の遥拝所であった。
古来、日本では富士山は御神体として信仰の対象であったが、現代のように交通機関が発達しているわけでもないので、簡単に参拝する事はできなかった。
そのために各地に富士山を模した小山が作られ、またはもともとあった古墳や丘陵を富士山に見立てて信仰したのが始まりである。
人が多く集まる江戸のみならず、現在の横浜市内にも多く作られた。
その数がいかに多いかは、別サイト「富士塚・浅間神社を巡る」に詳しい。
この階段を上がっていくと、しばらくして小さなお堂が目に付く。
これはどうやら不動堂であるらしい。
もともとこの不動堂は、近くの向導寺の塔頭であるというから、この富士塚も向導寺と関連があるのであろうか。
この小さなお堂は金比羅宮であるとされている。
思ったよりも高く築かれた富士塚の全景。
ゆったりとした稜線がいかにも富士山らしいではないか。
富士山を御神体とあがめる人々が、ことあるごとにこの富士塚の前に膝まづいては祈りをささげたのであろうか。
「新編相模国風土記稿」や「泉区史」などを見ても、富士塚の存在はかろうじて記されているのであるが、それ以上の詳しい事はわからない。
ならばと向導寺でお話を聞こうと伺ったが、あいにく法事の最中でご多忙のようであった。
詳しい事はわからない富士塚であるが、このような完全な形の富士塚は市内でも少なく貴重であり、また境内はきれいに掃き清められ、富士塚は木々に呑まれて森へ帰ることもなく、いかに大切にされているかが分かるのである。
これからも開発の波になど呑まれることなく、この地にひっそりとあり続けてくれる事を願うばかりである。