横浜から西側に伸びる相鉄線の、本線といずみ野線の分岐に挟まれた新幹線の線路わきには住宅街とゴルフ練習場が広がる一角があるが、その中の林の中にぽつんと小さな墓標と猫の石像が祀られている一角がある。
この敷地はほとんどがゴルフ練習場の敷地となり、ふだんは訪れる人も少ないのか昼なおうっそうとした森が広がり、その片隅にはロータリークラブによって綺麗に整備された墓地が残されているのを見ることが出来るのである。
この墓地は、よく気をつけていないと通り過ぎてしまいそうな、「塚」というには名ばかりの狭くて平坦な一角であるが、正式名称に「ねこ塚」という名を付けられており、車も電車もなかったころの巡礼の哀話が今なお語り継がれるところなのである。
言い伝えによると、時は元禄のころ。
長かった戦乱の世が終わって徳川幕府によって天下は平定され、ようやく泰平の世と言えるようになったころである。
ある一人の、巡礼の旅を続ける老婆がこの地を通りかかった。
この老婆は信心から、永く険しい巡礼の道を辿ったものの、車も電車もなかった時代の歩き遍路である。
やがて長年の無理がたたり、飢えと疲れで倒れてついに還らぬ人となったのである。
当時のこのあたりは人家もまばらな寒村で、誰からも葬られることもなく遺体はその場にあり続け、老婆が旅の供にと連れていた猫がしばらく寄り添って鳴いていたものの、次第に猫も痩せ細り、老婆の後を追うようにして息絶えてしまった。
この話は口伝でひろまり、これを哀れと思った村人たちは、この地に老婆と猫を埋めてねんごろに供養したのだという。
その後、いつしかここは「ねこ塚」と呼ばれるようになり、また近くの住民が死んだ犬や猫をここに葬るようになり、現在も地域の人たちからは大切に守られているのである。
今、この地に立って安らかな表情で眠る猫の石像に向き合うとき、かつてこの地で倒れた老婆と猫があの世で安らかに眠れているだろうかと想像し、思わず手を合わせずにおれないのである。