みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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村民の悲願が形となった 笹下川の岡本橋(横浜市港南区)

横浜市南部の副都心ともいわれる上大岡駅の周辺は地下鉄と京急線が乗り入れて、港南区内の多くのバスの起点ともなり、百貨店や繁華街なども並んで大変な賑わいであるが、その上大岡駅前を走る鎌倉街道を南下し、港南中央の交差点を左にまがってしばらく行き、さらに左へ進んでいくと、やがて車両は通行止めとなる細い路地にさしかかる。

 

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今でこそ、この道は自動車も通れないような細い路地であるが、ここはかつてこの地域の生活道路の中心であった。

というのも、この先には笹下川が静かに流れており、地域歌謡「笹下よいとこ」では

 

  〽夢も うつつも 笹下の川に

   添ふて 映して 岡本橋

   渡る大橋 関の橋

   ホンニ ホンニ 笹下は よいところ

 

と歌われた岡本橋がかかっているのである。


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この地域に岡本という地名はなく、これは上大岡村の岡と松本村の本の字をとったもので、このような例は日野と笹下の日下小学校などでも見られる例である。


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明治のころは笹下川の東岸が上大岡村、西岸が松本村であったが、当時は笹下川はたいそうきれいな川で、子供たちが岸から飛び込んでは川エビを採り、川魚を採って、それらはもれなく食卓に並んだということである。


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しかし、このあたりには橋がなく川を渡るのに多くの村人が苦労をしていたので、日野村の高梨林右衛門という人が中心となり、上大岡村と岡本村を結ぶ道を開いて、橋を架けることにしたのだという。


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今ではとうてい広い川とは呼べない笹下川も、当時としては橋を架けるというのは一大事業である、村中こぞって資金を集め、人手を募り、さらに遠く離れた本郷や鎌倉、蒔田の村からも援助が来て、横浜と鎌倉を結ぶ橋がいかに心待ちにされていたのかが分かろうというものである。


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工事は難工事を極めたが、多くの協力を得てようやく橋が完成した時には、橋を渡って通ってみようという人が多く詰めかけてたいへんな賑わいであったという。


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この時を境に、川で隔てられていた村と村は結ばれて交通の便もよくなり、経済も大いに発展してこの地域の人々は大変に恵まれるようになった。

 

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今、この橋の近くには広く切り開かれた鎌倉街道や笹下釜利谷道路が通り、岡本橋の通る道はすっかり生活道路として目立たない存在となってしまったが、橋の上から眺める笹下川には昔と変わらず多くの川魚が泳ぎ、静かに流れる川面には過ぎし日の村人たちの労苦と喜びが浮かび上がってくるようである。

 

 

 

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