磨崖仏という仏様の形態がある。
普通、仏像というのは木を彫って作った木像だったり、石を彫って作った石像だったりする場合が多いのであるが、歴史のある街では自然石や崖などを削って仏像を造像する例があり、当ブログでも過去にいくつか紹介している。
このような磨崖仏は三浦半島にもあり、横須賀の大矢部の里に新しくできたゴルフ場の脇に、今なおひっそりと眠っているさまを見ることができるのである。
この周辺は満昌寺も近く、またかつては焼き場谷戸と呼ばれていて、明治中頃までは屍を火葬するための焼き場として使われていたという寂しいところでもある。
この谷戸の片隅の階段は、やはり訪れる人もまばらなようで草は倒れ伏し、階段の至る所が蜘蛛の巣に覆われており、それだけで尋ねる気をそがれるのだが、ここは力を振り絞って分け入る事とする。
まるで藪こぎをするようにしてこの階段を上がっていくと、やがて金網に覆われた崖面を見ることができるが、これこそが三浦氏につながりがあると言われている、大矢部の磨崖仏なのである。
昭和33年、この辺りの崖を切り崩しているときにこの磨崖仏が発見された。風化しやすい凝灰岩質の岩肌に、線を彫って描かれた仏像はすでに風化してはっきりしていなかったが、研究の結果、阿弥陀三尊や地蔵、勢至菩薩などであろうと推測されている。
この磨崖仏のある右下の方には、鎌倉時代のやぐらが認められ、ここから五輪塔や写経の書かれた石が発見されたことから、この磨崖仏は鎌倉時代の後期に作られたものと見られているのである。
造られた当時は、彩色された立派なものであったと推測され、この磨崖仏は三浦氏の本拠地であった大矢部にあることからも、三浦氏につながりが深いものと考えられている。
この磨崖仏が、いつ、誰の手によって、何のために作られたのかは全く記録がないため何もわかっていない。
だが、かつてここに息づいていた人たちの信心の深さはもとより、工事を優先させずにきちんと調査をし、このような形で後世に残した横須賀市の行政と工事業者の姿勢は、まさに称賛に値すべきものであろう。