久里浜の駅の西側、八幡神社を越えてなだらかな坂を上った丘の上には、いかにも地元の鎮守様といった風情のお社があり、これを御瀧神社といい、祭神は滝口五郎盛定というこの地の豪族である。
一見して無人と分かるような小さな神社であり、境内には公園も整備されているものの少子化が顕著な横須賀市では、もはやその公園で遊ぶ子供らの声もなく、訪れる人もなくひっそりと静まり返っているのがより一層の哀愁を誘っているのである。
この神社には、聞くも不思議な桜の老木の伝説が残されている。
むかし、この御瀧神社には桜の老木を彫って作られた一体の木造が安置されていたという。その像は滝口盛定(もりさだ)という人をかたどったものであり、滝口盛定は藤原盛重の子で白河天皇に仕えたのち高野山で修業を積んだ人で、後三浦家の幕賓となってこの辺りに居住していたのであるち伝えられている。
さらに昔、久村に捨平という男が住んでいた。
この男はその名の通り捨て子であったが、滝口盛定の親である盛重の手により拾われてこの地で大切に育てられ、滝口一族の家来として仕えるようになった。
しかし、成長して大きくなるにつれ、捨て子として拾われ育てられた恩義を忘れてしまった捨平は一族に対して反抗的なふるまいをするようになり、それが滝口盛定の怒りに触れ、あわや手打ちとなる境遇であった。
しかし、この時にこの話を聞いた雲海という一人の老僧が「それでは捨平が哀れではないか」と仲立ちをして話をおさめ、捨平は命を取られることはなくなったのである。
捨平はこの事にいたく恩義を感じて雲海に師事して仏門に入るや、一心に修行にはげんだのである。
時は経ち、この村を日照りが襲った。
田畑には水はなく、稲は枯れそうになって村人は大いに困っていたが打つ手もなく、ただ神仏にすがるのみであった。
この時、草庵を結んで修行していた捨平は、草庵の脇の桜の老木につる草がからまっているのを認め、「ただでさえ弱った木なのに、こんなにつるがからんでは辛かろう」と桜の老木を憐れんで、老木からつるを外したのである。
すると、あろうことかこの桜の根元から冷たい清水が噴出し、滝となり流れとなって、たちまち村中の田畑を潤したのだという。
困っていた村人たちは大いに喜び、また捨平もこれにとどまらず水路を整備し、新田を開発するなど村の発展に寄与したので、いつしか名主にまで選ばれることになった。
この時捨平は名を滝本盛兼と変えたが、捨て子だった自分がここまで出世できたのも滝口家や雲海上人のおかげであるとして、枯れてしまった桜の老木を切って滝口盛定の像を刻んで祀ったのだという。
それから時は流れ、残念なことにその像は紛失されてしまったというが、この地には今なおこの伝説が語り継がれ、伝説として生き続けている。
ここにも、境内に並んだ沢山の石祠や庚申塔のごとく連綿とした時の流れを感じることができ、聞くも不思議な湧き水と捨平の伝説に触れて小さな神社に手を合わせるとき、確かにこの村に生きた人々と捨平の息吹が感じられるようで感慨もひとしおである。