みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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剛勇の武将を祭神にまつった 佐原の御霊神社(横須賀市)

横浜横須賀道路、通称「横横」 の佐原インターチェンジを降りてすぐのところ、鬱蒼と茂る木立の上に伸びる階段があります。

この上の神社が、佐原御霊神社と呼ばれる神社です。

  

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神奈川県の中でも、旧鎌倉郡に属する地区にいくつかある御霊神社の御祭神はほとんどが鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)で、平安時代後期に活躍した代表的な坂東平氏の一族です。

 

鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏らとともに鎌倉武士団の筆頭に立ち、神奈川県の湘南あたりの開発に尽力したとされています。

 

また、景政は特に武勇の誉れ高き武将として知名度も高く、合戦の最中で片目を矢で射抜かれても屈することなく戦い続け、それを見かねた味方の武士が矢を抜いてやろうと景政の顔に足をかけたところ、「武将なれば敵の矢に当たって死ぬは本望だが顔を踏まれるのは大いなる屈辱」と一喝した逸話は有名です。

 

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この佐原御霊神社は平安時代の仁平元年(1151年)6月15日創建と伝えられている歴史の古い神社です。

 

現在では佐原地区の鎮守さまとして崇敬され、ふだんは無人であるものの祭礼の際は八幡神社の宮司によって祭事が執り行われます。

 

 

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この神社は「三浦古尋録」によると、源義家に従って奥州に出兵した鎌倉権五郎景政が仙北金沢城に籠城したとき、わずか16才でありながらも勇敢に戦い、特に鳥ノ海弥三郎に片方の眼を射られてしまった時には矢を目に刺したままの姿でとぬかないで鳥ノ海弥三郎を追撃して射殺したという類まれなき武勇の持ち主として崇敬され、御祭神に戴いたということです。

 

そのため、戦時中などは武勇長久を祈る兵士たちや、その家族も多くお参りにこられたということです。

  

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いま、落ち葉を踏みしめる音のみが寂しくこだまする静かな境内で、御霊神社の御前にそっと手を合わせて目を閉じていると、かつて武将たちの鬨の声の中を片目に矢を刺したままの騎馬武者が疾走していくさまや、真新しい軍服に身を包んだ兵隊さん達が一心に祈る姿が思い起こされ、ここにも昔日の思い出がそくそくとよみがえったかのようです。

 

 

 

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