南東に向けて走っていた京浜急行の線路が、三浦半島の海岸船に添う形で大きく西にカーブするところがある。
いわゆる北久里浜駅からYRP野比駅までの区間であるが、この中に線路に囲まれるようにしてある岩戸という地区がある。
岩戸はかつてはうっそうとして深い山の奥であったが、現在ではすっかり切り開かれて豪奢なニュータウンとして人々の暮らしの舞台となっている。
しかし、その岩戸のニュータウンにも、今となっては昔話にしか出てこない、天狗の伝説が残っていることを知る住民はどれほどいるだろうか。
元来、天狗というものは深山幽谷に住むという。
人の形をしていながら、異様に赤ら顔に長い鼻を持ち、あるいはカラスのようなクチバシを持った顔をしており、翼に加えて神通力を持っており、どこまでも飛んでいくことができるのだという。
天狗は羽で出来たウチワの他に金剛づえ、太刀なども持っており、山の中に住む神として古くから山岳信仰の対称になってきた。
むかし、この辺りを治める佐原十郎義連(よしつら)という武将がいた。
源頼朝が挙兵した際に馳せ参じて御家人となり、のちに源頼朝の寝所を警護する11名のうちの一人に選ばれたほど信任が厚く、武芸の誉れも高かったという。
治承・寿永の乱の際、一ノ谷の戦いで源義経率いる搦手軍に属した際「鵯越の逆落とし」で真っ先に駆け下りた武勇が平家物語に紹介されているが、この話ならご存知の諸氏も多いであろう。
佐原十郎義連の居城である佐原城という城が岩戸の東北、現在の佐原3丁目当たりにあったころの話である。この近くに住んでいた天狗は通行人が通るや呼び止めて、相撲を申し込んでいた。
その話を聞いた村の力自慢もわざわざ挑戦しに出かけていったりするのだが、なにしろ相手は人間ではない。天狗にかなう者など一人もいなかった。
天狗は人間との相撲を取り、ゆうゆうと勝つたびに自慢の高い鼻をなでては悦に入っていたのだという。
その話を聞いた佐原義連はさっそく岩戸へと出かけていき、天狗に相撲を申し込んだ。
相手は武勇の誉れ天下に高き佐原義連とあって天狗も喜んで応じたが、ただ相撲をとるだけではつまらない。勝ったほうが相手のひげをつかんで引き抜いてしまうのはどうかという事になったのである。
相撲はなかなか決着がつかなかったが、さしもの天狗も佐原義連の力にかなうことはなく、とうとう天狗は佐原義連により土俵の外へと放り出されてしまったのである。
この約束により天狗はすっかりひげを抜き取られてしまい、人間に負けて悔しいやら恥ずかしいやら、さらにすっかりひげを抜き取られた己の顔を鏡で見た天狗はあまりの事に嘆き悲しんで、それからは人間に相撲を挑まなくなり、いつしか姿をくらましてしまったのだという。
それ以降、この地域では天狗の話は聞くことはなくなり、そればかりか深山幽谷と呼ばれた岩戸の山は切り開かれて住宅地となり、かつて天狗が立って下界を眺めたであろう山の頂上には送電線の鉄塔が立ち並んで、風景はすっかり変わり昔を偲ぶよすがもない。
いま、すっかり変貌した岩戸の山に天狗が戻ってきたならば、この岩戸の街並みを見てどのように言うのだろう。
科学も発達してすっかり山は切り開かれたが、いかに科学力を誇る現代人でも、歩くことは減って足腰も弱くなり、力仕事も減って腕力も忍耐力も落ちてしまった今となっては、100人が束となって天狗に飛びかかろうとも、天狗にはとうていかなわずにまた高笑いされてしまうのだろうかな、などと密かに想像してしまうのである。