箱根湯本から小涌谷へと抜け、芦ノ湖に向かう東海道の道を原付で駆け抜けていくと、ヘルメットのシールドの隙間から心地よい初夏の影がほほをなぜ、やがて昔の雰囲気を今にとどめる精進池にさしかかる。
この精進池の濁った水面の脇には二子山がそびえ、その小高い岩陰にへばりつくようにして残る古い石段を上がっていくと、木造のお堂が壁にへばりつくようにして建っており、その奥には見上げんばかりの大きさを誇る地蔵菩薩の坐像が崖面に彫り込まれているのを見ることができる。
この地蔵尊は巨大な磨崖仏であり、一般には六道地蔵と呼ばれて親しまれているが、この精進池のほとりはもともと鎌倉時代に開かれた箱根越えの街道であり、現在は「湯坂道(ゆさかみち)」と呼ばれている。
この道は、もともと源頼朝が箱根の権現様に詣でる際に利用した道で、その後は歴代将軍たちに引き継がれて今でもその名残を残しているのである。
だが、当時としてはこの道は箱根越えの難所の一つであり、その厳しさのあまり旅の途上で斃れる牛馬や旅人もおり、その様相は旅人たちから「賽の河原」という異名までつけられてしまう有様であった。
また、この向いの二子山や駒ヶ岳を、死出の山路にたとえて霊魂が集うと考えられ、精進池に線香をあげて供養したのだという。
このような死出の山、賽の河原に加えて箱根には今では観光名所ともなっている血の池地獄や地獄谷と呼ばれるあり、これらは信心深い時代の人たちにとってはまさに地獄の様相であったろう。
その中に、地蔵菩薩は地獄を始めとする輪廻転生の世界から亡者を救い極楽浄土へ導くという六道信仰のもと、巨大な地蔵菩薩を彫刻して六道地蔵と呼んだのであろう。
この地蔵尊の磨崖仏は高さ3メートル前後と、箱根の磨崖仏や石仏群の中では最大である。
台座だけでも3メートル前後あろうか、前に傾くその姿勢はまるで倒れそうであるが、自らの足元を彷徨う亡者を見逃すまいとの慈悲の心を表現しているようにも思えてくるし、この足元から見上げる地蔵菩薩はまさに圧巻の一言に尽きるのである。
横に走った岩の亀裂と、その亀裂に寄り添うように覆っている苔、足元に綿綿とつづくススキの群れ、そして周囲を固める小さな石仏と石積みは、まさに死後の旅となる六道への入り口にふさわしい雰囲気を醸し出しているのである。
また、この寂しく険しいながらも箱根越えの要所であったこの地には、かつて大きな仏道が築かれて旅人たちの信仰を集め、そのお堂を支える柱をさした穴などが各所に残されており、往時の隆盛ぶりがうかがわれるのである。
いま、訪れる人もまばらな六道地蔵の前にひざまづき、香を炊きつつ小さな石を一つ一つ積み上げてみるとき、かつてこの道で多くの旅人が同じようにして道中の安全を願ったことを思い出すと、ここにも時の流れの中に感慨深いものを思うのである。