小田急線本厚木駅から北西に進むと、県内では指折りの進学校とされる神奈川県立厚木高等学校がある。
その正門の前の下り坂を降りていく。
この坂自体は学生の通学のために比較的最近に切り開かれたもののようである。
この坂を脇道にそれると、すぐ脇に「尼の泣き坂」と書かれた小さな案内看板が立てられており、この近くが尼寺であったことをわずかに思い起こさせるのである。
かつて、このあたりには尼寺があったという。
尼寺の跡は厚木高校の場所であるとも、西側に進んだ、その名も「尼寺工業団地」のあたりだとも言われている。
実際に、この尼寺工業団地の一角には「一乗尼寺」の案内石碑がたち、ここに尼寺があったことを如実に示しているのである。
しかし、この尼寺は当時としては高台にあり、井戸すらなかったという。
そこで、生活に必要な水は尼さんが毎日桶を担いでは坂下の井戸まで汲みにいき、その桶を抱えて急坂を登るといった大変な重労働であったという。
今でこそ道は綺麗に舗装され、傾斜もだいぶゆるくなっているようであるが、それでも歩いて登るには楽ではない。
この坂を、重い水を満杯にした桶を抱えながら毎日何往復もするのであるから、その労苦たるや想像に絶するものがある。
今でこそ蛇口をひねればいくらでも出てくる水であるが、かつては井戸や川から汲んでは運び、うっかり濁った生水でも飲もうものなら流行り病まで出してしまうばかりか、医学も科学思想も発達していなかった頃は水あたりは水神様のタタリとして恐れられた事もあったという。
したがって、当時の村々の水場にはあまねく水神様が祀られて神格化され、人々にとって水は神聖なものであったのだ。
いま、この尼の泣き坂の日に立ち、どこまでも下っていく長い坂を眺める時、泣きながら桶を担いでは坂を登った名もなき尼たちの労苦が、切々と思い起こされるのである。