須雲川インターチェンジの出入り口を起点に県道732号線を西に進み、須雲川の集落を越えて須雲川を渡ると、ほどなくして急勾配の上り坂に出るが、注意しながら進むと崖側に朽ちかけた案内看板が見え、そこには「女転し坂」の由来が記載されている。
現在は山は切り開かれて綺麗に舗装され、原付でも難なく登って行ってしまうような坂ではあるが、かつてこの街道は道なき道をゆく急峻な坂道で、坂道というよりも崖というにふさわしいようなところだったのだという。
ここを馬に乗った婦人が通りかかったところ、落馬して命を落としてしまったことから「女転し坂」の異名を付けられているのだという。
この「女転し坂」の案内看板には、「おんなころしざか」という読みが降られ、「転がし」ではなく「転し」となっていることから、もとは「女殺し坂」とも呼ばれていたのかもしれない。
本来の坂は今の道の眼科にのぞむ須雲川沿いにあったようであるが、現在はすっかり崩れて見る影もなく、ただただうっそうと茂る杉木立が広がり、かつてここで痛ましい出来事があったとはなかなか考えがたいが、今のように科学も交通手段も発達していないころは、まさに箱根の山を越えるのは命がけだったのであろう。
この案内看板のところからガードレール下に広がる斜面は、実に足がすくむようであり登るも下るも難儀するであろうことは容易に想像でき、まさに「箱根の山は 天下の嶮 函谷關も ものならず」の歌詞どおりであると納得できてしまう。
箱根の関所に至る道は、比較的整備もされていて通りやすかったというが、いろいろな事情から関所破りを試みるものも多かった。
この坂で亡くなられたご婦人がそうであったかは分からぬが、脇道をそれて関所を避けたものの、中には道に迷うもの、崖から落ちるもの、さらに山賊から襲われるものもいて、その山越えは筆舌に尽くしがたい過酷なものであったのだろう。
この、誰もが知らず知らずのうちに通り過ぎてしまう変哲のない坂にも、かつてこの道を歩んだたくさんの人々の悲哀と悲話が秘められている事が思い起こされるのである。