浦賀湾の西側、常福寺という寺の脇に細い坂があり、今となっては木々も生い茂り昼なお鬱蒼として歩く人もまばらなところであるが、ここはかつて坂上の柳町赤線街へと続く道である。
柳町という地名も、赤線の町に風情を与えようと柳並木を作ったのが始まりというが、ことにこの道は漁船から降りてきた海の男たちが足しげく通い、幕末のころには大変な賑わいを見せたという。
今となっては赤線もなくなった柳町は住宅街へと生まれ変わって、往時を偲ぶよすがもないが、この坂を上っていく途上には古い階段があり、ここには古くからこの地に栄えている浦島家累代の墓がうっそうと茂る木漏れ日に照らされている。
ここに残る墓石を一基一基眺めていくと、その多くは江戸末期や明治時代に作られたものであり、その爛熟した石工技術がふんだんに発揮されて、いかに墓石といえども目を見張る美しさである。
この浦島家墓地の奥には今にも草木に埋もれてしまいそうな階段が続き、その階段を上がっていくと崖に穿たれた岩窟の中に石仏が並んでいる。
落ち葉敷き積もる中を歩いていくと、ひっそりと建った石仏の中の特に右端は馬頭観音像で、三面のお顔は均整が取れて美しい。
今となっては訪れる人もなく、そこに至る道でさえ草息吹と落ち葉に埋もれてしまいそうであるが、この暗い洞窟の中にひっそりと立つ馬頭観音は往来の安全を願って建立されたものか、それとも死馬の供養のために建立したものであろうか。
いま、木漏れ日が明るくさすこの墓地から忘れ去られたように崖下に立つ馬頭観音を見やるとき、ここにも昔を生きた人の愛馬にかけた愛情が伝わってくるようで、温かい気持ちにさせられるのである。