みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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勉学に生きた高僧 印融法印の墓と三会寺の幼稚園児たち(横浜市港北区)

JR小机駅から岸根に向かう横浜上麻生道路を東進し、鳥山川を渡る手前にある三会寺入口という交差点を入ると、秀麗な山門の瑞雲山三会寺がある。

 

東国八十八ヵ所霊場25番、旧小机領三十三所子歳観音霊場2番である。

 

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この寺の創建年代は明らかになっていないが、源頼朝が大檀那となり、母親を通じて源頼朝源義経源義仲らを従兄弟にもち、のちの間宮林蔵杉田玄白を子孫に持つ佐々木高綱が奉行を務めて建立したという言い伝えがある。

 

その後は印融法印が中興したといわれ、慶長4年(1599年)には寺領10石の御朱印を拝領したといわれる古刹であり、その落ち着いたたたずまいと優美な本堂は一見の価値がある。


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先ほども出てきた中興の僧である印融(いんゆう。「法印」とは法印大和尚(ほういんだいかしょう)という最高の僧位に対する尊称である)、は永享7年(1435年)、武蔵国都筑郡久保村、すなわち横浜市緑区三保町のあたりに生まれた。

 

幼くして仏門に入った印融法印は、長禄3年(1459年)に当寺である三会寺の賢継和尚から醍醐三宝院流を伝授されたのを皮切りに西院流能禅方、西院流元瑜方、西院流能禅方等の数々の法を伝授された。

 

それ以降は弟子の育成に努め、また数多くの仏教書を残した学僧であり、その写経や書写の数も膨大な数に上るとされる。

 

京都の東寺からは異端として苛烈な批判を受けたものの、死後は関東各地で印融の肖像を掲げて毎年供養されるほど崇敬され、「新編武蔵風土記」には「印融と云ふ僧住職して中興す。この僧は道徳、殊に聞こえありて世にも宗祖弘法大師の再来なりといひ伝えり」とまで評されたほどである。

 

入滅地はこちらの三会寺とも緑区小山町の観護寺とも伝えられ、どちらにも五輪塔形式の墓が残されており、こちら三会寺のものには「印融法印 大和尚 永正十六年八月十五日」と命日が刻まれているのが見て取れる。

 

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今、この墓を訪れる人は少なく、地域の方でもこの墓のいわれを知る人も少なく、人々の興味は薄らぎつつあるようだが、これから100年200年経とうともこの地で人々の営みを見守り続けるのだろう。


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話はそれるが、印融法印の墓の近くには旧陸軍曹長の墓があり、その周囲の欄干の柱が砲弾型となっているのが印象的であった。

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この日は、意識して出かけたわけではないが花祭りの日であった。

お釈迦様のお誕生日をお祝いするめでたい日であり、本堂の前にはお釈迦様が生まれた国にたくさんの花が咲いていたことに由来し、これまたたくさんの花で囲まれた小さなお釈迦様がお立ちになっておられた。


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さっそく、甘茶をかけさせていただいた。

お釈迦様は右手で空を指し、左手で地を指しているが、これは生まれた時にこのようなお姿で「天上天下唯我独尊」、すなわち「世界のすべての人は誰にもとって代わることはできない。一人一人が尊く唯一無二の存在である」という事を唱えられたとされるのである。


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お釈迦さまに甘茶をかけるのも、お釈迦様が生まれた時に龍が甘い水を吐きかけたので、その水を産湯とした伝説にちなんでおり、この甘茶を飲めば不老長寿の妙薬に値し、赤ん坊の額に塗れば病気をしない丈夫な子供に育つという。


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このたび、お寺の方や檀家の方からいろいろなお話をうかがうことが出来たが、こちらの三会寺が運営されておられる幼稚園が素晴らしく、定期的にご住職による法話の時間があり、その際にはきちんと合唱礼拝してお話を聞くこと、本堂の前では一礼し、死者の家たる墓地を通過するときは手を合わせて「お邪魔します」とあいさつしてから入るのだそうだ。

 

今まで、何も考えずにズカズカと墓地に入っていた自分が恥ずかしく、大いに反省したところである。

 

思えば、印融法印は幼少のころから生まれ育った久保にあった滝で心身を浄め、清浄な心をもって勉学に励んだという故事があり、現在は枯れてしまったもの滝の跡には不動明王が祀られており、久保のお滝様として大切にされているという。

 

勉学を好み、数々の功績を遺した印融法印の遺訓は今でも生き生きと受け継がれ、今また幼き子供たちの教育につながっているのである。

 

小さく、訪れる人もまばらな印融法印の墓の前に立ち、わずかな線香をあげて向き合うとき、今なお受け継がれる有難きみ仏の教えが次の世代、また次の世代へと受け継がれていることを思い、心なしか印融法印とともに、三会寺の本堂に手を合わせては深々と一礼する幼児たちの姿を眺めつつも頼もしさと喜びを分かち合うようである。

 

 

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