神奈川県と静岡県の県境の近く、萬年山 城願寺という曹洞宗の寺院があります。
このお寺の歴史は古く、鎌倉幕府を創設した源頼朝を助けた土肥一族の菩提寺とされています。
元々は荒れ果てていた密教の道場でしたが、土肥実平が持仏堂として再興し、さらに臨済宗として再興を果たします。
さらに15世紀には曹洞宗の寺院として重興開山となり、正式に城願寺と改名して現在に至ったのです。
この城願寺の境内には、高さは約20メートル、幹の太さは6メートルにも及ぶ立派なビャクシンの大木が残されています。
見上げるほどに成長した梢の先には今なお青々とした若葉を茂らせているかと思えば、根元から身をよじらせながら竜巻のように登っていく幹には言いしれないほどの風格があり、この地で数百年にわたり人々の営みを見守り続けてきたことに対する畏敬の念すら感じさせます。
このビャクシンは、土肥実平の手植えと伝えられています。
土肥実平は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてのこの地の有力な武将であることから、もし本当にこのビャクシンが土肥実平の手植えであるならば830年以上前からここにある事になります。
もともと、この城願寺は土肥実平をはじめとする土肥一族の菩提寺とされ、今なお城願寺本堂の左がわには66基の墓石が残されています。
ですから、土肥実平がここに木を植えたことに関しては大いにありうることだと思います。
今ではこのビャクシンは国の天然記念物にまで指定されて、神奈川県内では最も樹齢が長いビャクシンの木とさえ言われています。
その、身をくねらせながら上へ上へと伸びていった幹の見事な姿は全国的にも非常に稀有なものであることから、神奈川の名木100選にも選ばれたのです。
いま、このビャクシンの木のある城願寺のあるところからは、遠く湯河原の地と遠大な相模灘の海原を見渡すことが出来ます。
昔から比べると建物が増え、その景観は大きく変わったことでしょうけれども、この土肥一族の墓とビャクシンの木は私たちが生まれるずっとずっと前から、この地にとどまり続けてこの光景を見守り続けて来たのかと思うとき、とても言葉では言い表せぬ感慨深さを感じるのです。