小田急線の愛甲石田駅から丹沢大山へ向かい、7キロほどバイクを走らせると山深い秘湯である七沢温泉に入っていくことができる。
と、そのさらに奥に広沢寺温泉郷という鄙びた温泉があり、うっそうとした杉木立の中には沢と民家が数件建つのみであり、まさに秘境といった趣であるが、その山裾にあるのが曹洞宗の古刹、 最乗寺の了庵慧明禅師により応永18年(1411年ころ)創建された広沢寺で、本尊は薬師如来である。
このお寺の前に夕陽を浴びながらたたずむ地蔵はもともとは六十六部供養塔として作られたものであろう、六十六部供養塔については過去の記事「今なお残る六十六部巡礼者の慰霊碑と悲話(三浦市)」を参照していただきたいが、この像はもともとは元文2年(1737年、江戸8代将軍吉宗のころ)に作られたもので、台石を見ると「天下泰平 国土安穏 日本廻國大東妙典六十六部納経供養」という文字を読み取る事が出来るのである。
由来の看板に寄れば、昔、七沢に住んでいた石工の弟子が地蔵を彫ったものの鼻が欠けてしまったので新しく彫りなおしたところ、どうも申し訳なさそうに下を向いているようなお地蔵さまになってしまった。
それを見た石工の親方は、「お地蔵さまを高い所に乗せれば、優しく語りかけているように見えるで」と言っては台座を高くこしらえて乗せたのだという。
その後、何百年にも渡ってこの広沢寺の門前で道ゆく人の一人ひとりに優しく声をかけたであろうか、その優しいお顔は苔がむしても崩れる事もなく、ずっとこの山奥の道端に座り続けているのである。
いま、夕日に照らされ寂しげに、しかして穏やかに微笑み続ける一体の地蔵尊に向き合う時、何百年にも渡って村人や通行人の安寧を願い、諸国を旅する六十六部の願いよ届と言わんばかりに祈りを捧げているようにも見え、慈悲深くいつくしみ深い地蔵尊の愛情を示されているようで、思わずに手を合わせずにはおられないのである。