初夏の日差しもまぶしい日、観音崎の海沿いを走る県道209号線、通称観音崎通りを南下していくと、左手には観音崎京急ホテルがあるが、その裏手の海に面した部分は磯の合間に小さな砂浜が形成されてたくさんの海藻を打ち上げ、この辺りの海の豊かさを物語っているかのようである。
通りから少し奥まった所に原付を停めて、海沿いに綺麗に整備されたボードウォークを歩いて行くと、磯場のところどころに打ち寄せては返す波が悠久の時を刻み、ひたすら上空を旋回するトンビの声はどこかなつかしく、みうけんにとっては最も好きな風景の一つである。
もともとこの辺りは観音崎の砲台群からも近く、戦時中は一般民間人は立ち入ることのできない要塞地帯であった。
今となっては自然の美しさを楽しめる風光明媚な公園であるが、所どころに残された砲台や洞窟陣地が往時を偲ばせ、現代の平和な暮らしの中ではまったく過去の遺物のようになってしまっている。
このボードウォークの前の砂浜にも、コンクリートで作られていながら2本の大きな鉄管が貫く、謎の構造物が静かに眠っている。
今となってはこの構造物を気に留める人もほとんどいないようだが、これはおそらく戦争遺跡だと思う。
戦前は古くから民間人の立ち入りが禁止されていたから漁業関係のものでもないだろうし、どこかから桟橋の破片でも流れてきたにしては大きいし、戦後に作られたものだとしてもその用途がいまいちわからないのである。
この構造物は、何も言わずに今でも観音崎の砂浜に横たわっているが、戦争が終わってから半世紀はゆうに経ち、先の大戦に従軍された方もかなり鬼籍に入るなどして少なくなってしまった。
このままでは、戦争の遺跡はどんどん失われていくことだろう。
この構造物も、コンクリートはボロボロに砕けてしまい自然石のような風合いまで出し、鉄管も朽ちてかろうじて原型を留めてはいるものの、この構造物が何なのかはまったく分からない。
三浦半島はかつての東京湾要塞の中核であったので、当時の戦争遺跡だろうと思われるものがたくさん残されているが、その用途すらわからないものも多く、たとえば以前紹介した「富浦公園の謎の建造物」なども良い例である。
この構造物がなんであるのか、ご存じの方がいらっしゃれば是非とも教えていただきたいものです。
この記事のコメントなどでご教示頂ければ、これほどうれしい事はありません。
この構造物がなんであるのかご存じの方、是非ともお願いします!!