小田急線の本厚木駅から北がわ、中津川と相模川に挟まれた地域を南北に貫く厚相バイパスをずっと北上し山際交差点を左折すると、地域の鎮守である諏訪神社があり本殿は文化14年(1817年)の建造であるが、この近辺では南北に長く河岸段丘が続く地形となっている。
その諏訪神社のあたりは河岸段丘の上段にあたるが、川沿いの下段に降りていく坂道がこの近くにはいくつもあり、特にこの諏訪神社の脇にあるつづら折りの坂は諏訪坂と呼ばれ地域の重要な生活道路として交通量も多い。
その諏訪坂の途中には、ひっそりとたたずむ小さなお堂がある。
このお堂は安産子育地蔵尊、叶萬願阿弥陀如来との額がかけられ、安産子育ての地蔵堂と所願成就の阿弥陀堂を兼ねているようであり、その額には昭和48年(1973年)再建とあるから比較的新しく再建されたものであろう。
見た感じには何てことのない、どこにでもありそうなお堂なのであるが、少し近づいてのぞいてみれば中には「たいそう立派な」ご神体がうやうやしく飾られ、その造形も緻密で、温かく差し込む日差しに照らされて艶々としてたくましい。
さらに脇にある地蔵菩薩の彫像も、彫像それ自体は全く普通でどこにでもありそうなものではあるが、まるで自分のものであるかのように地蔵菩薩の前にはご神体が置かれ、飾られているさまが見て取れるのである。
元来、日本は性に対して開放的な文化を持っているように思う。
諸外国のように隠したり恥じたりすることは少なかったが、特に日本では生殖器崇拝というものが盛んであった。
生殖器をご神体としたものには全国で「おしめさま、金魔羅様、歓喜天、金精様、金勢様、金丸様、陰陽石、瘡神、お祠様、さいのかみ、穴場様、穴婆様、とんび岩」などと種類が多く、その割合も女性器よりも男性器が多い印象があるが、このような信仰形態は全国に濃密に分布しており、みうけんの知る限りでも神奈川県だけで川崎の金山神社、横須賀市の淡島神社などがある。
坂の途中にひっそりとたたずむこのお堂にも、かつては多くの人々が子授けの祈願をしに来たことであろうか。坂を下りたところには水田が広がり、丘の麓には民家が立ち並び、家屋は近代的でも作りはまさに百姓家のそれで、まさに日本の原風景ともいえるような光景であるが、この村々から若い夫婦が、孫の誕生を願う老爺老婆が出張っては日夜にわたって子授けの願掛けをした事であろうか。
いま、多くの人が振り返ることもなく自動車で通り過ぎていく真っ赤なお堂の中には、かつてと変わらず信仰を集めるお地蔵様と阿弥陀如来像があり、この町に生きる人の生活を見守りつづけ、この地蔵尊の加持力によりこの瞬間にも新たな生命が産声を上げている事を思いだすのである。