みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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復活したワラ蛇の神事 「注連引百万遍」の由来(横浜市港北区)

横浜市営地下鉄で新羽駅と北新横浜駅を降りた地域は、平成になってから一部の町名を「北新横浜」と風情なく変えてしまった地域もあるが、古くから新羽という地名であり、昭和の中ごろまでは一面の田んぼと丘が広がる農村地帯であった。

 

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その新羽には現在でも地域の住民から篤い信仰を受けている杉山神社という神社があり、その手水舎には藁を編んで作られた4メートルも5メートルもあろうかという大蛇が、大口をあけ飛び出た目を見開いた奇異な形相で、うやうやしく飾られているのである。

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この地域では、この蛇を「注連引百万遍」(しめびきひゃくまんべん)や「しめびき」というが、もともとは新羽だけではない、現在の港北区近辺で広まった民間信仰の一形態なのである。

 

むかしむかしは、飲み水も料理に使う水も、井戸水や湧き水や川の水であったし、今のように医学も発達せず良薬もなかった時代である。いちど疫病や伝染病が広がればアッという間に村々に広がり、それらを防ぐといえば神仏にすがるか、祈祷師を呼ぶか、医大もなければ医師免許もない時代の、独学の医者の手を借りるしかなかった。

 

大曽根の歴史」によると、新羽の川向かいにある大曾根や太尾では、このような伝承がある。

昔、大曽根と太尾の村では田の仕事もひと段落、百姓ものんびり過ごす日が続いていた。そんな安心をよそに、川の向かいの村では腹がいたくてもがき苦しむという、おそろしい病がはやりだしたとのうわさが広がった。

「高田村や新田村には、おそろしい病がはやりだしたとよぉ」
やがて暑い夏がやってきた。稲穂が頭を出し田んぼの緑が鮮やかなころ、そのおそろしい病は、隣の村までやってきたのである。すっかり恐れた大曽根の百姓達は、頭を寄せ集めて連日の対策会議であるが、考えがまとまらず、村の長老に教えを乞うことになった。

村の長老の爺さんは「蛇っつうもんは何でも呑むっつぅから、大蛇に病を食わしたらどうだぃ」と言いだしたので、百姓達は神社に集まり、村中からワラをかき集めては長さが7m、頭の大きさ30cmもある大蛇を作り上げ、松かさを糸で結んで目玉とした。

次の日、村人達は長老と神主を連れて、大蛇を村境の松に巻き付け終わると、神主は、大蛇が病を食う祝詞をあげた。
やがて、秋になり稲刈りの時期となっても大曾根の村にだけは病が流行る事はなかったが、大蛇は病を食べ過ぎたのか腹が破けてしまったというので、村人は大蛇を手あつく葬ったという。

この儀式は、昭和の初めまでは続いたが、今ではすっかり途絶えてしまったそうである。

 

また、戦後のころまでだが諸岡熊野神社にも「シメヨリ」という神事があり、正月8日になると氏子から2束ずつの稲藁が奉納されると、氏子の人々が注連縄をよっては蛇頭も編んでつける。また12本の足(閏年は13本)を結んだ、もしかするとムカデのようにも見えたであろう5m程の蛇体を3体つくる。そして村の入口の鳥居にシメ縄のようにかけたのだという。

また、菊名、篠原、新田などでも昭和初期まで行われていたが、全て途絶えてしまい今残るものは新羽の注連引百万遍だけだという。

 

新羽の注連引百万遍も、いちど戦時中には途絶えてしまっていた。

昭和54年(1979年)に新羽小・中学校が創立するのに合わせて記念事業として復活させ、横浜市の民俗無形文化財にまで認定されたものの、時代の流れか平成8年(1996年)にはワラ不足により再び中断し、平成12年(2000年)に再再開されるという紆余曲折を経ているのである。

 

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現在は毎年4月15日午後1時より、新羽の中之久保町内会館に中之久保のシメヒキ百万遍念仏講中の講員たちが出て、昨年の稲藁で5m程の蛇体を3体作る。
蛇の舌、目はカツの木を削ったものであり、舌は赤くぬられ、目玉は墨で描かれる。頭は七五三に市松に編まれる。蛇体はシメ縄模様によられて、蛇頭、蛇体、目、舌を最後に組み合わせて一匹の蛇ができるのである。

 

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かつては村の入口に疫病避けとして飾られたが、現在は前述の杉山神社の手水鉢に掲げられるほか、子供たちに悪い「モノ」がつかないようにという願いであろうか、新羽小学校では銅像の脇の桜の木に飾られているのが見て取れる。

 

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さらに、近くの新羽中学校でも校門の脇の木に巻き付けられ、生徒たちの登下校を見守っているのである。

 

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また、講中21軒のために、それぞれ小さな3~40センチの蛇体様のものを別に作っては講中の各戸で門戸に掲げて、除魔寒障のまじないとするのだというが、こちらは各家庭でお祀りしているものなので、見に行くことはなかなかかなわないのである。

 

思えば、みうけんは新羽小・中学校の出身である。

当時は校舎の玄関の脇には、新羽大竹遺跡などから発掘された土器が飾られており、そのガラスケースの上にこの大蛇が飾られていたのを、今でも鮮明に覚えている。

当時の同級生には地主である小山一族の者も多かったので、連絡を取ってお願いしてみればお宅の中に祀られている大蛇を拝むことができるかもしれない。

 

いま、神社の手水鉢に掲げられた無言の大蛇にじっと向き合う時、大蛇にすがるしかなかった人々の生き様と、今は多くの村で失われてしまったであろう車座になって談笑しながら縄をない、蛇を作り上げていく穏やかな光景が目に浮かぶようで、時の流れのはかなさをひしひしと感じるのである。

 

 

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