みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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刑場の露と消えた 若き六代御前の哀話(逗子市)

京急逗子線の終点である京急新逗子駅を降りると、駅前に見える小さな流れが田越川である。この川は古くは手越、多古江ともいい、御最後川とも呼ばれている。

 

今でこそ静かで流れもゆるい小川だが、鎌倉時代の昔は水深身の丈もあり船の往来激しく、また鎌倉の南方の処刑場としても機能し幾人もの生首を流した川でもあるというのが御最後川の由緒であり、その慰霊をつかさどったのが逗子の延命寺ともいわれる。

その田越川を海の方へ向けて下り、田越橋を越えて桜山駐在所の近くに「六代御前最後之故址」と、墓への入口がある。

 

 

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通りに面した「六代御前最後之故址」の石塔に手を合わせ、道を奥に進むと大きな槻の木に抱かれながら、訪れる人もまばらにひっそりとたたずむそのお姿は、幾星霜の年月も重ねいっそう哀れであった。

 

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六代御前とは、その正式な名を平高清(たいらのたかきよ・1177-1199)という。

平氏興隆の基礎を築いた平正盛(たいらのまさもり・生年不詳-1121?)から数えて六代目の直系にあたるから六代御前と呼ばれ、中学校の歴史でも習う源平合戦のうち平家の平清盛(たいらのきよもり・1118-1181)の孫の平維盛(たいらのこれもり・1159-1184)の嫡子(跡取りの長男)であり、平家政権絶頂の時に京都に生まれた。

しかし寿永四年(1185)、源頼朝の挙兵とともに、平家は西に追い詰められ、一族郎党はことごとく海の藻屑と消えていった。

 

その時、六代御前はまだ12歳。幼い面影の残る少年であり、母とともに戦乱を逃れて京都は大覚寺の北側にある菖蒲谷とよばれる谷にひっそりと隠れ住んでいた。

 

しかし、いつしか平家の残党狩りを続ける北条一族の知るところとなり、源頼朝の義父(=源頼朝正室北条政子の父)でもある北条時政により捕らえられてしまう。

 

源頼朝は、「この六代御前こそが平家の本流。このような者を生かしておいては、後々の禍になる」と、静岡県の千本の松原で打ち首に処そうとしたが、その幼き命をあわれんだ文覚上人の嘆願により一命をとりとめる事となった。

 

もともと文覚上人は後白河法皇に対する謀反のかどで伊豆に流されていたが、その時に源頼朝と仲睦まじくなり挙兵のきっかけを作ったとされ、源頼朝から絶大な信頼をうけていたのである。

 

六代御前は文覚上人の弟子となり、せっかく助かったこの命を仏の道に生きようと出家し、京都の西の高尾山にある神護寺で三位禅師、のちに妙覚と称して修行の日々を送ったのであるが、源頼朝正治元年(1199)に落馬でこの世を去ると同時に後ろ盾を失った文覚上人は再び流罪の憂き目にあい、六代御前も幕府の手により関東に護送されて田越川の川端で刑場の露と消えたのである。

 

世間の何たるやも知らないまま時代の流れに翻弄され、ついにわずか二十代の若さで刑場の露と消えた六代御前の身の上をあわれんだ村人たちは、里が良く見渡せる高台の上に六代御前をねんごろに葬ると、日々の供養をかかさず、その習わしは現代に至っても続き、六代御前の命日である7月26日には法要が執り行われるという事である。


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遠くいにしえの若き命の不遇の死はいまなお里の人々の心に残り、人々は立派な不動堂を祀り、中には六代御前の提灯がうやうやしく飾られているのである。


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この地域の方々の取り組みはすばらしく、不動堂は常に綺麗に整備され、御朱印もそろえ、100円で六代御前のパンフレットまで作って頒布されている。

有名な観光寺院ならばいざしらず、地元の里人にひっそりと守られているお堂でこのような充実ぶりはなかなかない事である。


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六代御前が無念の死をとげて820年たった平成の最後の年。

いまでも、田越川は平和になった日本のなかで、その流れを変わらずたたえつづけている。


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この田越川を眺めながら六代御前のことを思うとき、運命というもののあらがえない強大さに翻弄された一人の若者と、彼らを思う里人の情愛がいつの世にも変わらず流れ続けることに、深い感銘を覚え思わず手を合わせるのである。

 

つづく・・・

 

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