ある2月下旬、平日。
今までの寒さもやわらいでポカポカ陽気の中、のんびり庭でひなたぼっこをしていましたが、久々にJogさんでどこかに出かけようかな、とチャリチャリ出発しました。
特に行くあてもなかったのですが、なんとなくスロットルをふかしていると、かつては金沢八景の名所として名をはせた琵琶島神社へと吸い寄せられるようにやってきていました。
このスポットは家から近いんですが、なにぶん車を止めるスペースがありません。
そのため、車が移動の足だったころは後ろの車にあおられながら前を通り過ぎることしかできませんでした。
この琵琶島は、島の形が琵琶に似ているという事から、そう呼ばれたと言われています。
この島には、鎌倉時代に北条政子が滋賀県の竹生島から勧請した弁財天を祀っており、もとは瀬戸神社前面の海の離れ小島にあって2つの島を大橋で結んでいましたが、現在は陸続きとなっています。
金沢八景の1つである瀬戸の秋月の夜景を今に伝えるところです。
入ってすぐのところには、源頼朝公が石に服をかけて海水で禊をしたと言い伝えられている「服石」なる石があります。
古来、この石の前で物を拾う時は福を授かるゆえに福石とも呼ばれており、現在では後者の名前のほうが有名なようです。金沢4名石の1つとされ、こんな目立たないところの一見ごつごつした石くれにも、突きつめてみればこんな歴史のドラマがあるんだと感動させられます。
こちらは境内の立て看板。
その昔、開発される前の金沢八景がいかに風光明媚で美しい海岸だったか。
きっと、松島や伊勢志摩にも負けなかったかもしれません。
日本でも有名だった景勝地金沢八景は、現在では無粋なマンションに取り囲まれてしまい、また干潟や砂浜はことごとくコンクリートの壁へと埋め立てられ、二度とその美しさに涙することもできなくなってしまいました。
なんで、横浜市は大切なものをどんどん壊していくのか。今また上郷の森林も破壊されようとしているし、開発利権のことしか頭にないのでしょうか。
鳥居をくぐると、松並木の参道があります。
この両脇は、浅いながらも海になっています。
横浜金澤七福神の弁天様。港北七福神の菊名池弁財天さまは8本の腕で(石像はなぜか2本)宝珠や剣を持っていますが、こちらの弁天様は腕が2本です。
参道から見える海。
とても浅く、そこにはカキの殻がびっしり落ちています。
海の向こうは景勝地には程遠いマンションの群れ。ここに下りて掘ったら潮干狩りできないかな?
こちらが参道奥にある神殿です。
入り口は鎖錠されており、参拝はこの柵の外からとなります。
なんで鍵など閉めるのだ、と憤慨してはいけません。なぜ鍵を閉められてしまったのか、その理由を考え反省すべきなのかもしれません。この日も心無い者によって菓子パンの袋が放置されていたので、代わりに拾って持ち帰りました。
きっと美しい風景を眺めながら食事でも、とわざわざここまで来たんでしょうけれど、その美しい風景にわざわざゴミを放置していく、そのセンスには脱帽です(`ヘ´)
こちらは岬の最先端。
松の並木、穏やかな海。
ポカポカな陽気に、しばし腰を落ち着けて風景を眺めました。
この後、さらに足を延ばして横浜に残された磨崖仏を巡る旅へと出発しました。