神奈川県には、「大山みち」というのがあります。
地名を冠した道は、危急の際に「いざ鎌倉」と武士が馳せ参じた「鎌倉みち」、昔は一大商業港であった現在の金沢区に続く「金沢みち」などありましたが、「大山みち」は伊勢原市の大山不動尊に続く道です。
大山不動尊は、高幡山金剛寺、成田山新勝寺と共にしばしば「関東の三大不動」に数えられ、江戸時代には江戸近郊の観光地として大変な賑わいを見せ、こと東海道からの近さもあり、広く民衆から愛されたお不動さまです。
ただ、スマホもGPSもなかった時代ですからどこに行くにも簡単な地図が頼り。そして、街道の要所要所に置かれたのが道しるべです。
今でも東海道などには沢山の道しるべが残されていますが、大山みちの特色は道しるべの上にお不動さまが乗っている事が多いのです。
そんなお不動さまを原付でチャリチャリ巡ってみました。
これは、厚木市上古沢にある一例。
厚木市上古沢660
安永九年は1780年ですから、239年前のもの。石に彫られたカエルは、無事カエル?
他にもたくさんの庚申塔や馬頭観音とともに、今でも道行く人を見守っています。
年代不明。説明板によると江戸赤坂見附から来て、大山方面、八王子方面、飯山観音方面と交差する主要な辻だったようです。
横の石仏は廃仏毀釈の被害者か?
取れてしまった首を、金属製のカタマリで補修してありました。
こちらは天保六年、1835年。184年前の江戸末期に近い頃ですから、比較的新しいのでしょう。お不動様がむっちりしています。
比較的、彫られた字が力強い。
最後に、長沼不動明王からほど近くにある厚木市下津古久の一例。
厚木市下津古久785−1
こちらも表面が崩れてしまっており、年代は不明。
お不動さまを気にも止めずに走り抜けていく車に埃を浴びせられながら、じっと見守っています。こちらは坂東観音霊場の道しるべも兼ねているようで、「秩父 坂東 西国;右 戸田舟渡 左 ほしのや観音」と書かれております。
誰かがかけた数珠が印象的でした。
このほかにもたくさんありますが、きりがないので最近訪問した4例だけ掲載しました。
いろんな願いをお不動さまに託し、何十キロ、何百キロと歩む道すがら、たくさんの人々が足を止めて拝んだことでしょう。
今では足を止める人はほとんどいません。
どれも街道ぞいなので、いちいち車を停めていたら渋滞しますもんね。
そんな心配もなくチョイっと停めて参拝できる原付は、本当に便利です。
歩いて大山に行く人がいなくなった現代。
ほとんどの車がお不動さまに気づかずに足早に通り過ぎていくなかで、厳しくも優しいお不動さまは今を一生懸命に生きる人々をずっと見守っています。