今日の映画鑑賞。
今回は1981年公開の日本映画、「泥の河」(どろのかわ)です。
これはもともとは宮本輝が小説家デビューを果たすきっかけとなった同名の小説をもとにした映画で、1981年に木村プロダクションにより自主制作の形で映画化されたものです。
昭和56年と言えば、世間では完全にテレビがカラー化した頃。
しかし、この作品は低予算の自主映画という理由もあってか、モノクロ映画で仕上げられている上に舞台が昭和30年代の大阪という設定もあるために、かなり昔の映画のような仕上がりになっています。
それがそれで、また味があるんですけれどね。
そう、この映画の舞台は昭和31年の大阪。
戦争が終わってちょうど10年を過ぎた節目で、日本では景気が上向き、新聞にも「もはや戦後ではない」などという見出しが躍っていたころです。
安治川の河口で安うどん屋を営む暮らす板倉晋平(田村高廣)と板倉貞子(藤田弓子)の夫婦には、信雄(朝原靖貴)という一人息子がいました。
板倉家は決して裕福ではないけれど、うどん屋もそこそこ繁盛して当時としては不自由ない暮らしをしています。
そのため、船で流浪の生活を続けるうちに、板倉家の近くに仮住まいを決め込んだ船上生活者の松本笙子(加賀まりこ)と、その子供である銀子(柴田真生子)、喜一(桜井稔)の暮らしぶりとは明らかな格差が見られます。
やがて、松本笙子は船上で売春をしながら生計を立てていることが板倉家の面々の知るところとなります。
いっときは信雄に「あの船に近づいてはならぬ」とお達しが出るものの、子供たちの交流を通じて両家の友情が描かれ、そして格差のもとに離れ離れになっていく苦悩が実に静かに、厳かに表現されている映画だと思うのです。
この映画に対する多くのレビューでは、貧しかった日本のことに言及しています。
確かに今とは比べ物にならない時代ではありましたが、当時の人にとっては日常の事でもあったのでしょう。
今では絶滅してしまったかのような船上生活者も、つい20年前くらいまでは横浜にもいた事を思い出します。
昭和30年代の子供たちの暮らしぶりというのは、今となってはどうやったって体験できるものではないので、実際に経験していない者は「こち亀」や「三丁目の夕日」を読んで推し量るしかないのですが、東京タワーが建設されていくさなかの昭和30年代の生活というものは、こういうものだったのかなぁと思わされます。
しかし、田村高廣は演技がうまいですねぇ。
田村高廣をを知ったのは勝新太郎と共演した「兵隊やくざ」シリーズの有田上等兵役からですが、その時からどこか抜きんでた俳優であると思っていました。
3人の子役たちも、オーディションでは300人の中から厳選され、半月あまり監督のアパートで監督と4人と暮らしをしたそうです。
毎日生卵をかけただけの朝ごはんを食べ、銭湯に行き、夜は布団を並べて寝ながら話をし、撮影では宿泊所に50日間も寝泊まりしたそうで、両親との接点を徹底的に断ち切った日々の中で鍛え上げられた子供たちが演じた役はずば抜けたものでした。
結局、この3人の子役たちはこの映画が最初で最後の活躍の場となったのが惜しいところです。
自主製作と自主公開という、ほとんど趣味の世界で作られたこの作品は、映画界に大きなうねりをおこして欧米をはじめ、ソ連、中国、アジア諸国にまで公開の幅を広げて高い評価を受けています。
米映画監督スティーヴン・スピルバーグが「子役に対する演出が素晴しい」と、直接に監督の小栗に面会に行ったというのは有名な話です。
しかし、この映画の中で大きな転機となる事件。
笙子が船の中で売春をしている姿を信雄が目の当たりにしてしまうのです。
その後、物も言わずに船を曳かれて去っていく松本家。
メタンガスの浮き出る汚れ切った川面にさざ波を立てながら、松本家の「きよ丸」は信雄に見送られ、去っていきます。
学校にすら行かなかった松本家の子供たちは、その後どのような人生を歩んでいったのでしょうか。
結局、彼らのその後は分からないまま幕を閉じるというところが、この作品の上手なところだと思います。
この映画はアクションが好きな方には向きませんが、昔の日本の姿を見てみたい方にはうってつけの映画だと思います。
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